突然やってきたたくさんの死

2010年6月1日  

  カラーシャではお年寄りが亡くなって向こうの世界に行くのは、人生を全うして旅立つお祝いだと考えられ、葬式は祭り以上のスケールで行われる。

  ただし、まだ人生の半分も行かない若い人が亡くなった場合は、無念と悲しみの方が大きく、参列者たちはとても祭りの気分にならないのがほんとうのところだ。

ラジナが...
 うちの村の女子高生で、昨年12月に時々このブログにも登場するムシバッタジーと婚約した娘が、ラワルピンディーの病院で亡くなった。彼女は小さい時にリウマチ熱をわずらったらしいが、的確な治療がなされなかったために、ここに来て心臓弁膜症を併発させてしまった。

 

 1月にムシバッタジーがラワルピンディーの軍病院に連れて行って診せたときは薬で治るということだったが、3月末に急に容態が悪くなり手術するしかないと言われた。4月はじめ、日本に戻っていたムシバッタジーが急遽ラワルピンディーに駆けつけて、イスラマバードのNHKで仕事をしていて、旅行会社も経営している、日本語が大変流暢なジャヴェッドさんらの助けを借りて、軍病院での手術の手配をしたにもかかわらず、彼女は手術前に思いもよらず亡くなってしまった。 

  
 話が長くなるので割愛するが、昨年秋に私が村を出る少し前に挨拶に来てくれた彼女は、痛かった膝もその時は大丈夫だと言っていた。私がムシバッタジーのことをそっと耳打ちすると、ぱっと頬を染め恥じらった。花開く人生のスタート時点に立ったばかりの、希望をいっぱい胸にしていたあの娘がまさか逝ってしまうなんて信じられない気持ちで、日本にいた私は訃報をきいた。 

ムクが...
 5月23日にバラングル村の我が家に着いたら、村の人や子供たちに混じって、2匹の飼犬のムクとブンのうちブンだけが出迎えにきた。ムクはどうしたんだろうと訊く前に、ジャムシェールが「ムクは2、3日前に死んだ」と言う。なんちゅうことだ。

 

 4年前に私がチトラールで拾ってきたスヌーピー模様の子犬のハナを飼い始めた時期に、やはり子犬だったムクとブンが、母犬についてサンドリガから村にやってきた。母犬は夜だけ子犬のもとに授乳しにくるが、昼間は放ったらかしで、お腹が空いてる子犬たちは人糞を食べたりして飢えをしのいでいた。


 ムクはひとなつっこくて毛むくじゃらで、私が初めて呼んだときもすぐにやってきてじゃれついてきた。一方ブンは臆病で成長も遅く見かけも今一、自分から行動できないブンはいつもムクの後にくっついていた。

 

 秋も深まって、だんだんと母さん犬も来なくなり、村の子供たちの容赦ないいじめに遭い、真冬の寒いときに川にも何度か捨てられたが、2匹はどうにか生き抜いていった。子供がいじめていると、私は子供たちを叱り2匹をかばったが、餌は決して与えなかった。餌をやると住み着いてしまい、ハナも含めて3匹になってしまう。しかも全部メスなのだ。子供を生んだら犬屋敷と化してしまう。自分が食べるのがぎりぎりの身としては餌代を算段する余裕はない。


 その冬、2匹に餌は与えなかったが、結局、いじめに遭わず、雪もしのげるということで、うちの軒下に2匹で丸まってよく寝ていた。ハナは家の中で飼われていたので、自ずと格付け一位、次がムク、最後がブンというランクが犬たちの中で決まっていて、じゃれあっていても必ず最後はブンが地面に押し付けられていた。


 2匹の救い主は静江さん。動物好きの彼女は時々2匹に餌をやり始めた。「餌をやると、静江さんが帰国した後も2匹はさらにどこにも行かなくなり、ここに住んでる私が困る」と止めたが、彼女はちょこちょこパンをちぎって与えたりしていた。


 翌年の春、私の股関節痛がひどくなり、治療のために一時帰国した。診察の結果、両足共に人工股関節置換の手術をすることになり、その年は日本に滞在。代わりに静江さんが2度も「Akikoの家」に来て活動してくれた。

 

 彼女の滞在中にハナがジステンパーにかかり、アユーンの動物病院にハナを連れていき、知り合いの家にハナも一緒に泊めてもらったりと、できる限りの力を尽くしてくれたが、静江さんが帰国してから死んでしまった。一緒に遊んでいたムクとブンは病気にかからずピンピンしていた。地元で生まれ、野性に近い状態で育った犬はたくましいものなのだ。


 途中経過は省略するが、2匹には静江さんが餌代を出すことになり、姉妹犬はうちの番犬となった。ハナがいなくなったので、頭角を表したムクが「ここは私のテリトリーじゃワン」と人や他の犬をよせつけない番犬になってくれた。しかし度が過ぎて、この冬には村人6、7人もの足を噛み付いたそうだ。ムクの死因はどうも誰かに毒を盛られたらしい。


 残ったブンは、私が戻ってからはずっと外の階段のそばにいてくれ(私の留守中は夜うろついていたらしいが)、通るたびにしっぽを振るし、上の水路を通る人には吠え、声もりりしくて頼もしく思える。格付けが最下位のブンが最後には残る。なんだか「醜いあひるの子」か「シンデレラ」のような展開だと感慨深く思った。

ブトーの末娘が...
 村に戻って6日目の夕方、悲報が舞い込んだ。ボンボレットの義兄弟であるブトーの末娘シナが川に落ちて亡くなったという。夏の家がある場所の途中にかかるテンポラリーの板の橋から落ちて、水に流されて死んだという。昔、ヌシャヒディンやブトーの家族と暮らしていた頃、私もよく通っていた橋だが、確かに危ない橋だ。毎年のように橋から落ちて子供が被害にあうので、ブルーン村の前に頑丈な橋ができたのに、そこだと少し遠回りになるからと板の橋を渡ることにしたらしい。


 9歳だったシナが赤ん坊の時、母親が手仕事をしているそばにごろりと寝かされておとなしくしていた。だきぐせが激しいカラーシャの赤ん坊にはめずらしいおりこうさんの赤ん坊だった。成長するにつれ朗らかでひょんきんな少女になり、昨年夏に義兄弟の家族に会いに行った際に、ブトーの長女の写真を撮ったときに、すまし顔でポーズを取る長女の後に、おどけた表情をして頭を横に動かすシナが写っている。


 死というものから一番遠いところにいると思っていたあの元気のよかったシナの突然の死は、家族、親類、村人、谷の人すべてに大きな心の穴を開けてしまった。特に母親の痛手は半端ではない。シナはバシャリ(生理・出産中のこもり家)から畑仕事にいった母を追って行く途中にあの橋を渡ったのだ。「私のために愛しい娘は亡くなってしまった。私はどうしたらいい。どうしようもない。」とバシャリ家で泣くばかり。めったに会わない私でさえも大変なショックなのだから、母親の心の傷は計り知れなく深いものだと思う。

そしてブンが...
 シナの葬式で2泊してルンブールに戻ると、ブンが元気がない。前夜から餌を食べないという。餌のとうもろこしパンを小さくちぎってミルクに混ぜてやっても食べない。普段だったら大喜びで食べるとこなのに。夕食もやはり食べず、裏の庭で吐いていた。

 

 ブンは生理になっていて発情期が近づき、オス犬から守る必要もあるので数日前から夜は家の中に入れていたので、その夜も入れる。水で薄めたミルクをほんの少し飲み、後はずっとおとなしく犬専用の敷物の上にいた。


 私は徹夜続きの葬式で時間のサイクルがおかしくなり、この夜はパソコン作業をして気が付いたら明け方の4時になっていた。ブンが吐きたいかもしれないと思い、明るくなるのを待って、ブンを外に出してやった。水を飲み、足を冷やして戻ってきたブンはそのまま普段は入らない犬小屋に入り、横になった。(ムクが10日前に死んだ場所でもある。)

 

 前足の付け根あたりの動悸がどどんどどんと不整脈になり始め、昼すぎには胴全体が波打つようになり、午後2時にそれまでウーぐらいしか声を出さなかったブンはガアーとおののいて茶色の汁を2、3度吐き出して息絶えたのだ。朝に山羊、牛、ペット用の注射をジャムシェールにしてもらったが、効き目がなかった。

 

 それにしても、シナの葬式から帰ってきた翌日に、それまで元気でしっぽを振っていたブンが死んでしまうとはキツネにつままれたような気持ちだ。人や生き物はこんなに簡単に死んでしまうのか。


 死に方からすると、ブンも毒を盛られた可能性が強い。全くひどいことをする人間もいるものだ。「アキコをアタナシアスのように拉致するために、まず犬を殺したのかも」とぶっそうなことを言う村人もいて、なんだか嫌な感じだ。2階にポリスになったジャムシェールが寝てくれているので安心ではあるが。


 ということで、このところのたて続きの死に向き合い、少しぼーとすると涙が出てきたりする。しかしやることもたくさんあるので、落ち込む暇はないのです。
 
 あまりにも長くなったので、キラン図書室のことや不在中のクラフト作業の報告は次回にまわします。