何と、ボンボレットからインターネットが

2010年6月24日

 6月21日、今年度支援金をいただいた方へのお礼の手紙の郵送、Eメールのチェック、ブログ更新、その他の用事でチトラールの町に出た。しかしながらインターネット接続が何度試みてもつながらず、諦めるしかなかった。

 

 それで、3日後の今日、ボンボレット谷にやってきているのだ。ボンボレット谷ではこの冬に電話線が取り付けられて、ブルーン村のバーヤ(兄弟)の家、夏の畑の家、メザマース・バーヤの家など数カ所に電話が引かれていた。この冬、佐賀の実家にいた時、ヌールシャヒディンたちから電話がかかって驚いたものだが、インターネットがチトラールよりも働きが速いというから、昨年結婚したムサシの弟のラヒムディンに赤ん坊が生まれたお祝いも兼ねて、インターネット作業をしに来たのだ。

 

 夏の畑のバーヤの家は相変わらず散らかってハエも多いが、まさかインターネットができるようになるとは思いもしなかった。チトラールで21日に更新する予定だったブログは以下の通り。

 

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6月20日

 19日間もブログの更新をしないと書くことがいっぱいでまとめようがない。しかもこの3日前の雨で水力発電所の水路の取水口がひどく決壊して、村の男たちが修理をするが、数時間後にまた崩れるという繰り返しで、電気がなくてパソコン作業ができずにいた。しかしチトラール行きが明日になったので、明るい昼間に充電で少しやってみたものの、充電率が49%になったのであわてて止める。というのは、チトラールで停電という可能性もあるので、その場合のために充電を空にはできない。

 

 こういう事情で、今回のブログはやむなく、支援金をいただいた方へのお礼の手紙の文面(6月7日気付)の一部を使わせてもらうことにする。

 

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 「Akikoの家」は私の留守中も、キラン図書室とクラフト活動は続けられていて、というよりも学校が冬休みの2ヶ月間は、むしろ夏よりも、読書に学校のおさらいに図書室に来る子供が多くて、活発に活動していたもようでした。クラフトの方も、写真と一緒に説明して頼んでいった仕事を、技術面で安定した3人の女性がほぼノルマを果たしてくれていました。

 

 ここを出る昨年の秋に、わかりやすい出勤簿を作って、ある程度の読み書きができるグリスタンに記入するよう任せたものによって、賃金計算だけでなく、作業内容なども読み取ることができ、大変役に立ちました。こうやって少しずつ全行程の中で自分たちできる部分が広がっていき、いずれ全部を任せられるようになっていくことを現実的に期待させられました。そうなったら万々歳です。

 

 先日、進級試験で優秀な成績を修めた小・中学生に、奨励賞のノートを渡しに小・中学校に行きました。おととし、教室に電気がなかったのを学校メンテナンス費用で電気を付けるよう、先生たちを説得して電気を引いてもらいましたが、小学校はその後に電線が焼けて電気が来てない。中学校は電球1個だけついていて、まだまだ暗い。いくら先生たちに言っても返事だけでやらないので、私たちの活動費から電気をつけることにしました。

 

 現在、国境の向こうに隣接するアフガニスタンのヌーリスタン州ではタリバンとNATO軍の攻防戦が繰り広げられていて、ヌーリスタン人たちが国境を越えてパキスタン側にやってきています。彼らはタリバンから逃れる住民や兵士たちということで危険ではないのですが、すぐにチトラールの県知事/警察/兵隊によって、南のアフガン国境まで送り返されます。

 

 治安が昨年より不安定ということはまちがいなく、私も安全確保のために、2~3人の地元の警官(うちのスタッフもこのために臨時警官になった)にガードされて生活することを余儀なくされています。ちょっと嫌な感じですが、警官がいるとより安全なことは確かなので文句は言えません。早くアフガニスタン、パキスタン共々、平和になってほしいものです。

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 以上ですが、その後の話題として、

1)キラン図書室は、日本から戻った週はお菓子のみやげ効果もあって1日で55人もの子供が来たりしたが、以前から抱えている「本をきちんと読めない低学年の子供がほとんどで、識字教育というよりも、なにやら幼稚園か児童館の様相めいている」問題は解決しないままだ。

 

 夏場はそうでなくとも大人も子供も山や畑の野外作業に忙しい時期で、家の手伝いもできないチビたちの子守りをする余裕は、忙しい私にはない。それでしばらく図書室は閉じることにした。

 

 その代わりに、前々から思っていた、図書室のウルドゥー語と英語の本のリストを英文アルファベットでパソコンに入力する作業を、チトラールのカレッジでコンピューター・サイエンスを学んでいるワリ・シャーにやってもらっている。電気も昼間は止められるし、私の古い日本語のパソコンでやってもらっているので、なかなか進まないが、キラン図書室の活動には1人でも多くの若者に関わってもらいたいので、気長にやっている。

 

2)小学校への電線の修理と、教室の壁にあった電球を中央に設置する作業は終了。今中学校の2つの教室に2個目の電球をつけるよう頼んでいる。

 

3)2階の配電作業に4日かかって、しかも一つのスイッチをつけると、別の電球もついてしまう箇所もあるが、とにかく20日から私用の荷物と共に2階に移ることができた。新しい部屋は2つの窓からの見晴らしがよく、クルミの枝から枝を飛び回る鳥たちと同じ高さにいることが新鮮で気持ちがいい。

 

4)谷で開かれたCIADP(チトラール地域開発プログラム)の会合に呼ばれて、女性代表の声として、女性の沐浴と髪結い場の必要性を訴える。私が20年前に建てた沐浴場は古くなり、場所としても髪結いは禁じられているので、下流の日当りのよい場所に新しく建てるのが望ましい。

 

5)中国人の旅行者がクラフト(木のカラーシャ人形など)を買ってくれた。外国人旅行者が極端に少ない中で、アメリカ人と中国人旅行者が占める割合が多くなっている。といっても私が谷で会った中国人は今月5名だけだが。中国人が多くなってきているのは中国の成長ぶりを見れば理解できるが、アメリカ人が多いのはどうしてだろうか?

 

6)うちの犬たちが死んだという話があっという間にボンボレット谷にも伝わり、ムサシの母さんのつてでボンボレットの子犬がやってきた。とっても元気でやんちゃで、しばらくはこっちが振り回されそうだ。母犬が良く吠える番犬というので、早く大きくなって良い番犬になってくれ。

 

7)カラチのテレビ局「GEO」がカラーシャのドキュメンタリー番組を作っていて、インタビューを受ける。けっこうリラックスして正直な話ができた。図書室、クラフト活動なども丁寧に撮影していたが、へんな風に編集されないことを祈る。2ヶ月後にオンエアーだそうだ。

 

他にも毎日いろんなことが起きて話題には事欠かないが、今回はこれで。