N婆さんの病院行き

2010年7月 

 カラーシャでは息子が生まれると喜ばれる。娘が生まれても差別されるというわけではなく、娘でもけっこうかわいがられている。

村に戻って目薬をさすグリスタン
村に戻って目薬をさすグリスタン

 ただ息子は昔の日本のように家の跡取りで、親が年取ったら親の面倒を見てくれるから息子は親にとって絶対必要な存在と考えられている。カラーシャ社会では子供がいないと老後が大変なのである。

 

 私が住む家のすぐ近くに老夫婦だけの世帯がある。最初の妻、N婆さんに子ができなかったので、老人は2人目の妻を娶ったが、やはり子宝に恵まれなかった。子供ができないまま3人とも歳をとってしまい、N婆さんはもうだいぶ前から目が悪くなり耳もあまり聞こえない。目は目やにでぐちゃぐちゃ、とてもいいお婆ちゃんだけど、一見ぎょっとする容貌だ。2番目の妻も耳が遠くて会話が困難である。爺さんも昨年大病をわずらい、数年間前から夏の畑がある家に移住することもできず、一年中昔ながらの窓のない造りの家にひっそりと暮らしている。

 

 カラーシャには女性の髪結いや沐浴は村から出て下流で行う掟があるが、N婆さんの髪結いの時は片手に杖をつき、片手を2番目の妻の肩につかまってそろそろ這うようにして川辺まで行く。その姿があまりにも不憫なので、サイフラー議長は直接の親戚でもないけれど、前から「婆さんをチトラールの病院に連れていく」と言っていた。だが、N婆さんはジープに乗れない(車酔いする)ということで延び延びになっていた。

 

 先日、サイフラー議長がついにN婆さんをチトラールの病院に連れて行った。付き添いのためにグリスタンが同行した。「婆さんは白内障だから、その日のうちに手術して退院するよ」という話だったが、一行は2日経っても戻って来なかった。3日目、チトラールに出たついでに病院を訪ねると、サイフラー、グリスタン、爺さんの姪の夫、別の受診できた女性などがいた。N婆さんは眼科の手術台の上に横になっていて、私が「具合はどう?」ときいたら、何かちんぷんかんぷんの返事が戻ってきた。

 

 医者が来て説明するには、「彼女には3つの問題がある。1つ目の感染病は薬で治る。2つ目は涙腺のコントロールがきかなくなっている。これは今日これから手術して治す。3つ目の白内障は片目はもう治せなくなっているが、片目の方は10日後に施す。」ということで、片目でも見えるようになったら、本人にとっても家族にとっても万々歳だ。

 

手術代、薬代でだいたい11000ルピーほどかかるという。サイフラー議長のゲストハウスは昨年以上に閑古鳥の状態だし、彼が借金して負担するにはあまりにも気の毒なので、その半分弱の5000ルピーを活動費から援助することにした。Akikoの家での活動は治安のこともあってクラフト活動以外は自重していて、活動費はあまり使っていない。役に立つことに早く使っていかないと、このところの急激な物価高でルピーの価値も下がる一方なのだ。

 

 翌日、一行はいったん病院から村に戻ってきた。普段から細身のグリスタンが一段と疲れた顔をしていたのできくと、「この3日間、病院ではちゃんと寝てないよ。特に夜は一睡もしてない。まず、チトラールに行くときに、婆ちゃん、生まれて初めて車に乗ったんで、吐いちゃって。それで私の服もチャルダーもドロドロ。病院の水道でざっと洗ったけど、なんか臭ってるみたいでね。」

 

「ほいで、婆ちゃん、病院にいることが理解できなくて、なんやかんやわけのわからんことを言うのよ。夜もぐたぐた言うんで他の患者さんから文句言われるしね。トイレに連れて行くのも大変。だいたい病院のトイレ自体が入りたくないくらいものすごく汚いでしょ。ベッドに横にさせるときなんか、婆ちゃん、服の下にズボンを着けてないから、裾をきちんとしてやらないと中が見えてみっともないし。あれやこれやの世話で寝る暇がなかったよ。」

 

「最後の夜には、電気を消して、婆さんの服を脱がせて裸にして体を拭いてやり、チャルダーを被せ、他の患者たちに、電気をつけると眩しくて眠れないんで絶対に電気をつけるな、と厳しく言いつけて、私はトイレで婆さんの服をバケツに入れて洗剤と棒で洗って、硬く絞って扇風機の下で乾かした。私の服は父さんが泊まっている宿でまず服を洗って乾かし、それから沐浴して、肌着とズボンを洗った。もう大変どころの騒ぎじゃなかったよ。何度も半泣きしたよ。」

 

 いやあ、1人娘のお嬢様育ちのグリスタンにしては驚くほどの献身ぶりだ。「よく看病してるね。この人はあんたの誰?」と周りの患者たちからきかれると、「私とは関係ないけど、看病する人がいないので、私が手伝ってる」とは言わずに、「私の婆ちゃんよ」と答えていたらしい。グリスタンの株が上がった出来事でした。