村を出る前に

2010年10月

 九州の親元の事情に合わせて、ここのところ異常性を増してきた、チトラール警察の外国人に対しての独り相撲的保安活動(これについては後日お知らせできればと思います。)も鼻についてきたこともあり、今年も冬のチョウモスの祭りに参加しないまま、10月6日の朝、帰国の途につくために村を出ました。 

 

クルミ落としの達人、ムシャンカーン
クルミ落としの達人、ムシャンカーン

 ルンブールのわが場所に戻ってくるのは、早くても来年の春になるだろうから、AKIKOの家を去るに当たって、やることが山ほどありました。

 

クルミの収穫

 まず、9月の後半に収穫した3本分のクルミを屋根上やベランダに広げて乾燥させる作業。9月のくせに残暑どころか一度雨が降ると室温が15度ぐらいになり、なかなかスカッと乾いてくれず、けっこうちまちま手がかかりました。

 この私が世話しているクルミの3本のうち2本は、(名義はカラーシャの人になっているが)日本のお友達2人が所有しています。

 

 カラーシャの谷ではクルミの木の所有者と、土地の所有者が別々ということが多い。その昔、外のイスラム教徒がカラーシャからただでもらったものや、帽子や1ルピー札と交換した小さな木がどんどん大きくなっています。今や畑を部分的に覆い尽くしてしまい、畑の主は枝を切りたくても木の所有者ではないので切り落とせません。畑の所有者にしてみれば迷惑以外に何物でもないけれど、2万ルピー前後に高騰したクルミ代を払って買い取る以外どうすることもできない。呪いをかけて朽ち果てさせたいと思っている畑の所有者は多いはずです。

 

 そこで、そういったイスラム教徒所有のクルミの木を買い取る活動も始めました。畑に影響を与えている枝は切り落とし、毎年収穫した実の売却金を活動費に運用しています。今年はクルミ落としの達人を雇ったので、昨年よりも収穫高が多く、2本合わせて5,220ルピーになった。他の友人からもクルミ1本を買うお金を預かっていますが、近年クルミの木、実共々価値が上がってきていて、所有者はなかなか手放さないので、売り手がみつからないでいます。

 

 もっと手こずる作業が、AKIKOの家の活動費、クラフトの売上げと支出、2階の増築費の経費、キラン図書室や美穂子寄付金の支出、立替え分など諸々の計算。これをパソコンのエクセルでやれば速いのだが、鉄砲水以来電気がなくパソコンが使えないので、小さな計算器でやるしかない。この計算器がわたしゃ苦手で、やる度に違った数字が出るんで、しまいに手で計算するが、これも数字が違ったりして、もう頭から湯気が出る状態になります。(それで9月24日はわざわざプリンターを持ってパソコン作業をしにチトラールに行ったのだ。その後9月末に発電機の修理ができて、夜間は電気がつくようになった。)

 

 そういう状況の中、仕込んでおいた乾燥アンズと乾燥桑の焼酎の素が、蒸留しなくちゃならない時期になり、「他にやることがいっぱいあるのに、こんなことをしてていいのか」と自分に問いながらも、放ったらかして捨てるのは絶対口惜しいので、1、5リットル抽出するのに半日もかかって、全部で8リットルほど作りました。これで来年は焼酎には困らないはず。うっしっし。

 

 今日、10月7日、私にしてはめずらしく一発で飛行機が来て、すんなりイスラマバードに到着。今はフォジアの家の客室で、インターネットでiTunesのラジオからジャズを流しながら、このブログをやってます。(だからリラックスして、ついはめがはずれている。)明日はきっちり姿勢を正して、緊急支援の堤防建設についてお知らせします。