チトラールも平穏ではなくなった?

2011年9月

 近年テロリストの国とレッテルを貼られているパキスタンだが、チトラール県はアフガニスタンと国境を接しているわりには、ヒンドゥークーシ山脈の山々に阻まれているせいか、(タリバンにとって)チトラールに魅力がなかったのか、これまでに大きなテロ活動もなく、眠ったような地域だった。

 

 今年の5月に日本からルンブール谷に戻ってきたときも、チトラール地域の治安はどちらかというと昨年より和らいだ空気だった。しかし、カラーシャ谷に入る外国人旅行者には相変わらずセキュリティが厳しくて、外国人1人に武装した警官が1名から3名エスコートするという状態だった。

 

 幸い私は半分ローカルということで警官がくっついて歩くことはなかったが、先月の8月18日、チトラール警察の副署長がやってきて、「カラーシャ谷に滞在している外国人はすぐ出て、夏祭りがある22日までチトラールの町に滞在するよう署長からの命令が出ている。すでにビリールに滞在していたモーリンやボンボレットの旅行者も出ていて、あなたが最後の外国人だ」と言う。

 

 仕方なくその日にチトラールに行くことになったが、2日後に警察署長に面会して理由をきくと、「タリバンがアフガニスタンから越境してきて山に潜んで外国人を拉致しようとしているとの情報をにぎっている。我々はあなたたちを守らねばならない」と言う。いつ迄チトラールに待機しなければならないときくと、「今月いっぱいか、あるいは1ヶ月間か、よくわからない。」と言うではないか。

 

 「えー、そんなにも?私の家はルンブールにあって、そこで生活や活動をしてるのに、チトラールのホテルで何をしろと言うんですか?しかも、せっかく夏祭りの準備をしていたのに、夏祭りにも参加できないのも納得できない話です」と訴え、ねばった挙句、「じゃあ、これからルンブールに帰って夏祭りまで滞在していい。でも夏祭りが終わったその夕方にチトラールに絶対に戻ってくるように。」と許可をもらった。

 

 こういう経過で、8月22日の祭りには参加することができ、おまけにどういうわけか、谷に来ていた警官たちは「早くチトラールに戻るように署長が言っている」とも言わないので、そのまま自分の家にいた。

 

 そして8月27日、チトラール南部の町ドローシュから30分ほど南下した場所にあるチェックポストに100人以上のタリバンが襲い、兵士26名、警官10名が殺されたというニュースが入る。ついにチトラール地域のタリバン襲撃の話がほんとうになる。しかし私に「ルンブールを出るように」との警察署長からの要請はない。

 

 翌日のラジオで、「チェックポストをアタックしたのはパキスタンのスワット地方とディール地方のタリバンで、いったんアフガニスタンに入って越境して襲撃したが、もう退去した」とのニュースをきく。

 

 その後も断食明けの休みがあったりして、私のところには退去の要請がなかったが、時間の問題だということは感じていた。9月6日にアユーンの警察署長がやってきた。どっちにしても、20日間近くメールチェックをしていなかったのでチトラールには行かねばならなかった。

 

 翌日チトラールで弟からのEメールで母の具合があまりよくないとり、チトラールでぐだぐだしているんだったら、早く日本に帰ろうとすぐに決心する。同じ日に、平原部から900名のパキスタン軍がチトラール地方南部に入り、拠点を築いたというニュースを聞く。

 

 「9・11」10周年に何か起こるかも知れないと危惧していたが、特別に何も起こらずほっとした。とにかく今必要なのは平和。No more fighting. でも世界を見渡す限り争いだらけで、平和からどんどん遠ざかっていっている感じだ。まったく気が重くなるばかりだ。

 

 今朝、9月12日のフライトでイスラマバードに飛ぶ予定だったが、フライトはキャンセルになり、まだチトラールの町にいる。帰ると決めたら早く日本に帰りたいものだ。