ボンボレット谷での悲しい話

2012年8月

 さっき、佐賀での心温まる経験を書いて、久しぶりにブログを更新できたと喜んでいたら、真逆の驚く記事を見て悲しんでいます。

 

 数日前に裁判のためにチトラールでに来ていたサイフラー議長さんから電話があって、近況をきいたとき、「ボンボレット谷の山羊がアフガンからの盗賊によって連れ去られた」という話をきいていたけど、山羊の群れを連れ去られる話はよくあって、2、3年前にルンブール谷でも起こり、谷の男たちが団を組んですぐに追いかけ山羊を連れ戻している。だから、今回も大丈夫だろうと思っていた。

 

 ところが今日、「チトラール・ニュース」で、山羊と共に連れ去られた2人の男のうち、カラーシャの若者の方がアフガンの盗賊に殺されたという記事があったのだ。さらに、ボンボレット谷のカラーシャ、リューク・ラクマットが主宰する「カラーシャ・タイムズ」を開けたら、先月の山火事のニュースのままなので、更新してないなと閉じかけたら、ページの右上に「前の記事」「次の記事」をクリックするところがあったのを今日知った(毎日が勉強、発見です)。それで「次の記事」を読んでいくうちにあった、あった。「800頭もの山羊とカラーシャ青年をさらった盗賊の記事」がとてもくわしく載っていた。

 

 被害にあったのはブルーン村の人たちだった(私が以前暮していた村)。始めの記事は山羊と一緒にいた牧童6人のうちの一人の目撃談で、カラーシャ青年とグジュールの男性二人が盗賊に連れていかれたとあったので、「きっと殺されてはいないだろう。チトラール・ニュースやチトラール・タイムはけっこう勘違いの記事も多いから」と願いながら読んでいたが、8月18日発の最後の記事に、「口に銃弾を浴び、体のいたるところにナイフの傷があった遺体がクラカール村に運ばれた」とあり、がっくり。私は殺された青年を直接は知らないが、写真を見ても若くて、これから人生を花開かせるはずだった。ほんとうに残念。

 

 アフガン国境からタリバンが来るからと、今年はパキスタン軍やチトラール兵が大勢、カラーシャの三つの谷に駐留しているのに(今は少し数は減ったというが)、なぜ20人もの盗賊がアフガニスタンから国境を越えてやって来て、800頭も山羊を盗んで再び国境を越えて連れていくのを防げなかったのか不思議でならない。ただ口を開けて見ていただけのようだ。国境沿いの山や、カラーシャ谷のあちこちに駐留している兵士たちは、「上からの命令がなかったから動けなかった」と言い訳をしているそうだ。

http://thekalashatimes.wordpress.com/category/the-kalasha-times/