佐賀で出会ったちょいと良い話

2012年8月

 猛暑が続く毎日、節電のためだけでなく、もともと日本でもエアコンの生活をしてこなかったので、ここ佐賀でも来客の時以外はエアコンはつけないことにしている。扇風機は使う。

 「だいたい、ペシャワール、イスラマバード、ラホールなどパキスタンの都市部は暑いときは45度になるから、日本の35度なんてたいしたことないよ」「標高2千メートルのルンブール谷も空気が澄んでいる分直射日光が強くて、その熱が石壁の家にこもってけっこう暑い。なのに、向こうに長く暮していて、去年やっと自分の部屋に扇風機を買ったぐらいだから」なんて、強がりは言うものの、日本の湿気つきの暑さはかなりしんどい。

 

 朝6時ぐらいに窓やダイニングの戸を開けて外の空気を入れるが、8時になるとまぶしい陽が侵入してくるダイニングのガラス戸を閉め、カーテンも閉める。昼過ぎると西側の窓のカーテンも閉める。これはパキスタンの一般の家で行っているクーリング法なのだ。

 

 薄暗い部屋で、亡くなった母の遺品の整理をしたり、初盆の準備をしたり片づけたり、パソコンでニュースや脱原発関係の情報を見たりしているうちに、部屋の中は32度まで上がり、いい加減ボーとしてくる。気分転換に外に出たいと、カーテンをちびっと開けて外を見ると、もう露出オーバーの写真のようにまっ白けのギラギラギラ。見ただけで目眩がしそうだ。最近増えた顔のシミのことも思うと外に出る勇気はない。図書館や友人から借りた本を読んだり、ごろごろしたりしているうちにすぐに夕方になる。

 

駐車場から道路に向かって撮影。カメラに雨が当たるので、ピークの時は撮れなかった。
駐車場から道路に向かって撮影。カメラに雨が当たるので、ピークの時は撮れなかった。

 とまあ、これがここ一ヶ月間の日中の生活だったが、昨日もほぼ同じようなパターンで午後4時になった。盆礼を送る用事もあったし、その足で涼みがてら図書館に行き、夕飯の買物をして帰ろうと自転車で外に出た。自転車をこいでいると風が当たってさほど暑くはないが、日陰のない信号で止まったときが一番嫌だ。

 

 図書館で借りた本を返し、雑誌、新聞コーナーに向かったら、同級生のCちゃんが新聞を読んでいた。昨夕の「佐賀県庁横の再稼働反対抗議アピール」で顔を会わしたばっかりだが、図書館でばったり会うのはめずらしい。館内なので少しだけ話をして、それぞれ新聞、雑誌を読んでいると、空からゴロゴロ雷さんの音がしてきた。そう言えば天気予報で「突発的に雨」と言っていたような気がする。雨になる前にはやく買物して家に戻ろうと思い、椅子に座って間もなかったけど立ち上がって、Cちゃんに別れを告げた。

 

 図書館から出たら、ぽちぽち雨が降り出した。夏だから濡れても平気、取りあえずスーパーまで行こう。しかし、自転車で走って1分も経たないうちに雨脚はひどくなり、一粒一粒に重みがあり痛い。ひょっとして始めの雨粒は雹だったのかもしれない。雨だけならいいけど、雷がすごくて、頭の上でバリバリ暴れまくっている。こんな雷はめずらしい。「落雷で死んだ」というニュースを耳にするので正直ちょっとこわくなる。

 

 図書館からわずか2~300メートルぐらいのところで、雷も雨も尋常ではないくらいひどくなり、人工股関節で自転車をこぐにはやばいと思って、通りに面していた屋根付きのどなたかの駐車場にとっさに入った。

 

 やれやれ、ちょうど図書館とスーパーの中間地点でこんなになるのだったら、図書館にいればよかったと後悔しても遅い。アスファルトにたたきつけられる雨しぶきを見ながら(デジカメで雨の写真も撮ったけど、イカす画像ではなかった)、15分ぐらい経ったのか、駐車場の後側、塀の向こうのおうちから傘をさしたご婦人が、手元にもう1本の傘を持って出てらした。

 

 「雨がひどいので、どうぞうちに入って雨が止むのをお待ちください」と声をかけてくださった。もう一本の傘は私のために持って来られたのだ。お言葉に甘えておうちに入れてもらった。靴を脱いで上がるよう勧められたが、半分濡れた体だし、すぐにおいとまするつもりなので、「玄関先で十分」といって断った。「濡れたでしょう」とタオルを貸してくださり、冷たい麦茶も出してくださった。雷がひどいので家の電気は消してらしたのに、わざわざポータブルの扇風機まで持ってきてくださった。

 

 「暑い」という話の乗りで、「私はインドの向こうのパキスタンという国で暮していて、暑いところは45度になる。停電も多いので、クーラーどころか扇風機もつけられないこともあるから、暑いのはわりあい慣れてる」と言ったら、「まあ、私なんてもう歳だから、海外なんてとてもじゃないけど行けない」とおっしゃる。上品で活発な感じのする、それこそどんどん海外旅行に出かける70歳というふうに見えたので、「あら、まだお若いではないですか」と言うと、「何言ってるんですか。もう83になりますよ」との返事で、私は雷の音以上に驚いた。亡くなったうちの母も若く見られていたが、母と4つしか違わないとはどうしても思えない。

 

 「学生の頃は戦争中で勉強ができず学徒動員にかり出されて、それで皮膚を悪くしてひどかったんですよ」とおっしゃる。でも、今見ると、しわもなく肌はぴんぴんだ。冗談で、「顔の皮膚移植かなんかされたんですか」と言ったくらいだ。「戦争はあってはいけない。今の生活は平和で恵まれている。子供たちや若い人たちはこれが当たり前だと思っているけど、この恵まれた環境に感謝する気持を持ってほしい。最近は、母の日なんかで子供が孫たちを連れて来る時に、『贈り物はいらないから、おばあちゃんの話をきいて』と、戦争時代の話をするようにしていますよ」などなど、親切にしてもらった上に良い話もきけて、思ってもいない上等な雨宿りになった。

 

インターネットからのカワセミ画像
インターネットからのカワセミ画像

 雨が止んだので、お礼を言っておいとましたが、玄関先まで見送って下さり、また恐縮してしまったが、何かとても幸せな気分になった。その足でスーパーの手前の川端をるんるん自転車をこいでいると、美しい瑠璃色の鳥が一瞬目に留まったので、その場で自転車を止めて目を凝らすと、塀の上にカワセミがいた。

 

 3ヶ月前、嬉野に友達と行った際にこの鳥を見て興奮したが、自分が育った佐賀市でこの鳥を見たのは初めてのことだ。カワセミくんは目の前の川にV字ダイビングを披露してから飛び去ったが、私は先ほどの雨宿りからカワセミ目撃の流れで、さらに素晴らしく幸運な気持になり、こんな経験をさせてもらったあのご婦人とカワセミ、そして私を包む何か大きなものに改めて感謝した。