百観音付近を散歩してたら

2013年8月

 沼袋は東京の割合中心にあるわりにはお寺が多い。家から一番近い久成寺や明治寺が建つ道を歩くと、うっそうとした樹木からミンミン蝉の大合唱が響き、ここが東京ということを忘れてしまいそうになる。

 今日みたいに湿気が多い日にこの道を歩いていると、一瞬、自分がタイのバンコクの裏通りを歩いているような感覚になったりする。(もちろん、バンコクの方がもっと雑然としていて、独特の香辛料の匂いも漂っているけれど)

 

 それは多分、つい先日の日曜日に、180体いらっしゃる観音様に灯明をお供えして、世界中の子どもたちが飢えや貧しさや戦争の恐怖にさらされることなく、幸せになるようにとみんなで祈る行事「百観音献灯会」が行われたばかりで、そのときに明治寺の境内で、インドネシアのガムラン演奏と舞踊が披露されたのを見物したから、頭の中に東南アジア・バージョンが残っていたからかも知れないけれど。

 
梵語の塔婆
梵語の塔婆

 百観音の後姿を眼にしながら歩いていると、日本のお墓でよく見る梵語で書かれた塔婆が目に入る。すると、今度は急に昔、インドを旅して日本にカルチャーショック状態で帰ってきた頃を想い出し、いつの間にか、日本を好きで留学中の外国人のような気持で、観音様の後姿を見ている私がいた。「これらの塔婆に書かれた梵語を見ると、仏教がインドからはるばるやってきたというのがよくわかるなあ」なんてね。

 

 こういう気持になったもう一つの理由は、その朝にインターネットのデモクラ・テレビで「日本国憲法」という映画を作ったジャン・ユンカーマンとの対談を見たからだろう。「日本の憲法にあこがれていた」と言うユンカーマン氏は1970年代に日本に留学していて、私と同世代だ。ユンカーマン氏に似た感性を持つ留学生の友達が多かった私は、スッとあの頃に戻って、彼らの視線で百観音を見ていたのだと思う。

 

 10代から20代にかけての若い頃の私は相当な西洋かぶれで、西洋文化にあこがれていたのだが、外国人留学生たちと友達になったことで、彼らを通じて日本文化の良さに気づかせてもらった。今では、マイノリティを尊重しない、戦争を起こし、弱い者いじめし、グローバル企業、大型経営農業、利益優先で自然破壊も意に介さない西洋的な(特にアメリカ)やり方にすっかり嫌気がさしているわけだが。(以上、数日前に書いたものです。)

 と、何やわけのわからぬことを書いてしまいましたが、今回の一時帰国の主な目的、母の一周忌、佐賀での写真展、東北旅行を終えてしまい、さてさて後はルンブールに戻ることを考える以外、やることがなくなってしまって、空になった頭の中にドバドバと過去の思い出と新しく見たばかりのものがごった煮になった結果でございます。

(ほんとうは重くなり過ぎたパソコンのファイルや画像の整理、動画の編集、日本に置いてある諸々の紙切れ、写真の整理、父母の遺品の整理など、やるべきことはちゃんとあるんですけどね)

 

 今後の予定

 明日に東京を出て九州に戻り、健康診断の再検査の結果が良ければ9月に福岡空港からバンコクに飛び、陸路でラオスに入り、時間つぶしをする。10月、バンコクからラホールに飛び、ラホールの友人を訪ねて、イスラマバードに向かい、イスラマバードで友人たちに会ったり、必要な買物をしたりした後、11月にチトラールに飛ぶ。という大まかな予定を立てました。

 

 ほんとうは、9月にルンブール谷に戻りたいのですが、春から秋の期間は、タリバンから国境を守る、カラーシャ谷の護衛、という名目で大勢の陸軍や警察が駐屯しているので、遅れて入ることにしたのです。取り急ぎ、お知らせでした。