ルンブール谷のその後

2013年9月

 昨日、チトラールの町に出て来たサイフラーさんから電話がありました。

彼の話を要約すると、

1)土石流で全壊した小学校の復建については、サイフラーさんがチトラール政府の教育部に何度も足を運んでいるが、まだ、誰の請負いで、いくらの予算で建てられるのか決まっていない。

 

2)小学校が再建されるまで、仮の教室として、AKIKOの家の1階にあるキラン図書室とバラングル村の主神殿を開放する件は、キラン図書室の土砂は片づいているが、私が留守中に図書室を教室として使うことに、どうもサイフラーさんやヤシールたちはためらっている感じがする。しかも、内側も外側も多くの土砂を被った主神殿はまだ土砂を除ける作業中なので、すぐにはできない様子。

 

3)ジープ道路はアユーンからルンブール谷の半分ほどまでは修復された。少し前にはアユーン~ボンボレットの道路が開通しているので、これでずいぶん道路の状況は良くなっている。

 

4)外国人に対してのセキュリティはこれまで君臨していた警察署長が変わったこともあり、若干緩くなったもよう。今日もサイフラーさんはルンブール谷を歩いている日本女性(あるいは韓国人)のバッグパッカーを見かけた。

ということです。

土砂被害を受けた本神殿の前。Kalasha Timesより
土砂被害を受けた本神殿の前。Kalasha Timesより

 私が提案した「仮教室での小学生の授業」はまだ始まっていない。キラン図書室を開放することに関して、そして主神殿の土砂取り作業や修理に関しての支払いのこともあり、やはり私が村に帰らないと進まない部分があるとわかり、バラングル村への里心がむくりと湧き上がってきました。外国人へのセキュリティも緩み、道路もかなり修理されたなら、早く帰ろうではないか。

 

 実は、すでに9月23日に日本を出る予定で航空券は手配していたのです。でもパキスタンに直行しても、イスラマバードはまだまだ猛暑だから長居したくないし、さりとて、早々とチトラールに到着しても、いったいどうする?

 

 ルンブール谷へのジープ道路も通じてない中、荷物は誰か担いでくれる人がいるだろうけど、徒歩でサバイバルゲームがごとき、崩れた崖道や危ない角材一本の橋を渡って、しまいに村にたどり着けばいいけど、途中で転んで「川に落ちて激流に飲まれた」、あるいは「両足の人工股関節がはずれてしまった」ということになったらえらいことになる。そんなことになったら私だけの問題ではなく、地元の人にも日本の家族にも迷惑がかかる。

 

 最低、ジープ道路が通ってからの方がいい。どうせならセキュリティのことも考えて、国境の山々に雪が積もって、アフガニスタンのタリバンが山越えできなくなる晩秋ぐらいにバラングル村に帰るのが一番いいだろうと決断していたのです。

 

 そういうことを考えて、まず福岡からバンコクに飛んで、バンコクでパキスタン行きの航空券を買った後に(日本で買うより安い)、タイから陸路でラオスに入って、のんびりムード漂うと言われるラオスで、時間つぶしと脳みその整理、パソコンのファイル整理なんぞをしようとたくらんでいたのです。

 

 ラオスは15日間滞在だったらビザは不要だけど、どこに行ってもすぐだらだら長居する癖がある私にとって、初めての国を15日間で回れというのは無理だろうから、ちゃんと1ヶ月のビザを取ってゆっくり回ろうと思っていたけど、こうなったらビザは要らないかな。ということは10月後半にはパキスタンに入れるということです。

 

以上、仮教室の件と、ルンブール谷に帰る予定についてのお知らせでした。