土石流のすさまじさ

2013年12月

 7月31日午後8時頃に起こった土石流/鉄砲水の概要はこうだ。

 この時刻、村の家ではほとんどが夕食を取っているか、取ったすぐ後のときだった。突然、風が吹き始め、あっという間に強い雨まじりの嵐と化した。(ルンブール谷では日本の台風のような強い嵐はほとんど起きない)すると、谷全体を揺らすようなゴーという轟音に包まれ、村は泥水に襲われ、電気も消えた。

 

 バラングル村の低いところの家々の間を上流方面から土砂が流れてきたので、村人たちは初めは、てっきり川からの鉄砲水だと思い、薄暗い中を村の高いところに建つ家に逃れようと急いだ。そうしたら、何と村の後方の山からどーと土砂が襲ってきて、逃げ場を失いそうになった。

 

 子供を両手に逃げた女性はシュシュットをなくし、かろうじて勢いよく流れてくる泥水から救われた子供は服を持っていかれて裸だった。多くの人がすべったり転んだりして胸まで泥水につかり、靴やサンダルを持っていかれた。村人はみんなパニックに落ち入り、50歳近くの男でも、「もうこの世の終りだあ」と泣きわめいていたという。幸い、村にいた全員は土砂を被らなかった数件の家に避難することができて、人的被害が出なかったことは神に感謝しなければならない。

 

 今回の土石流/鉄砲水をもたらした嵐は、時間にしてたった10分程度だったというが、上流の支谷のサンドリガからカラシャグロム村までの尾根伝いと、サジゴールトンからグロム村の尾根伝いからいっせい土石流が流れ出し、サンドリガ、プイスタンの畑はほとんどが厚い土砂を被り、一部が決壊した。

 

 村のほとんどの家は、煙突や石壁の隙間から泥水が侵入してぐちゃぐちゃの状態になり、しかもその後の1ヶ月間はずっと天気が悪くて乾かず、どこもかしこも悪臭が漂っていた。飲み水用の水道管はもちろん壊れ、普段使う湧き水場も土砂を被ったので、ずいぶん遠くまで水を汲みにいかねばならなかった。川の水も濁ったままで洗濯もできなかったという。

 

ルンブール・カラーシャ小学校付近の被害

 小学校の建物は政府が建てたもので、(一部、トイレとベランダはギリシャ人のNGOが造った)比較的きちんと造られていたのに、突風が吹くと同時に、小学校のトタン屋根が三角形の屋根の形をしたまま、屋根裏に用務員が置いていた飼料用の枯草も一緒にふわりと持ち上がり、空を舞い神殿前に落ちた。その後、上から襲ってきた土石流がトタン屋根を巻き込んでぐちゃぐちゃにし、トタンを取り除くのに大変だったという。

 

 三つの教室があった小学校は完全になくなったので、現在は瓦礫の上にテントが2つ張られ、ゼロ級と1年生がそこで勉強している。2年と3年生の授業は神殿の中で行われ、4年と5年生はそばのムスリム小学校で、ムスリム学童と一緒に授業を受けている。

 

 カラーシャ小学校の斜め下に建つ村の主神殿は建物は壊れることはなかったが、大量の土石で中まで埋まってしまった。村の男たちのボランティア作業とイギリス人NGOの一部義援金で、神殿の中と入口から50センチほどの隙間の土砂は取り除かれたが、チョウモス祭や葬式を行う神殿前の広場はまだまだ手つかずの状態だ。

 

 神殿前の広場に止めていたムスリム所有のジープは土石流に持っていかれて、そのまま行方不明。村人のチトラールまでの足であるダットサン型の車は、普段は神殿そばの駐車場に止めてあるが、たまたまその日は帰りが遅くなったので運転手の家のそばに止めていたので助かった。ムスリム小学校は石塀が壊れたが教室は大丈夫だった。その下にあった粉引き小屋は跡形もなくなっていた。土石流はサイフラー・ゲストハウスの石壁を壊して、やっと大きくなった西洋梨の木やりんごの木をなぎ倒して、ゲストルームの中まで侵入したが、今は石壁が新しく造られ、庭の土砂も取り除かれていた。

 

 山からの土砂は「AKIKOの家」の建物とその周辺の畑も襲っていた。おおよそ図書室の窓が土砂の勢いで割れるところだったが、泥棒対策のために厚いチップ板を窓にはめていたのが功を奏して救われた。そうでなかったら、図書室は半分以上土砂で埋まっていた。

 

 しかしそれでも窓枠の隙間などから入った細かい土まじりの泥水が床から10センチほど侵入した。ヤシールとグリスタンが土石流が収まった後に、図書室の本を隣のクラフト作業室に移動したので、本が全滅することはなかった。でもどのくらいの割合か今はわからないが、泥水を被った本もある。その後天気が回復してから、グリスタンを中心に図書室は泥が除かれ、水で掃除されて割合にきれいになっていた。しかし、建物の後と周辺はまだ土砂が山盛りになっていて、村人が通る裏の水路からのバリアもなくなっている。

 

ルンブール文化福祉開発組合/AKIKOの家でできること

 

 小学校の建物ができるまで、うちの図書室を教室として使うように教員たちに申し入れた。しかし、図書室に全学級は入らないし、分断すると授業がやりにくい。今は天気が良いのでテントでも問題ないし(神殿は寒いけど)、12月半ばには冬休みになるので、それまではこのままの状態で授業をやるということ。チョウモスが終わる12月末にはどっちにしても、キラン図書室を開くのでそれでいいだろうということになった。

 

 それで、チョウモス祭が目の前に迫っているので、多くの行事で使われる神殿の周辺の土砂を除く作業が最優先とし、5万ルピーを支援して神殿前の土や石を取り除いた。残りの神殿前の広場の土砂は村人たちがボランティアで取り除くこととなった。

 

 後、取りあえず、畑を土砂でやられて収穫がなかった家15軒に、チョウモスで必要な小麦1俵分(今は4千ルピーに値上がりしている)プラス、アルファーで5千ルピーの義援金を渡すことにした。被害を受けた家の一部は政府からの義援金3万~5万受け取っている。それらは除外した。

 

*その他に、ルンブール谷の重鎮カターシン長老が亡くなり、大きな葬式が開かれた。そして最近この10日間でジープ転落事故が起こり、ムスリムの男性が2人死亡し、カラーシャの若者たちも負傷した。犠牲者のうち3人がペシャワールの大きな病院に連れていかれて手術を受けるなど、ルンブール谷の道路のリスクは尋常ではない。

 村にはまだ電気は来てないので、チトラールの町に2泊して、残りのパソコン作業や買物をしようかと思ったが、今朝はどんよりと曇り空なので、谷に雪が降る前に家に戻ることにした。雪が降ったら、あの道路はアウトである。

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コメント: 1
  • #1

    shizue (金曜日, 06 12月 2013 00:15)

    7月末の土石流とその後の村の様子は、私の想像を遥かに超えていました。
    私が滞在していたら まず助からなかったに違いない。さすがカラーシャ、村人の犠牲者が出なかったのが奇跡です。
    これからは、大量に積もった土砂をシャベルとつるはしで取り除く、気が遠くなるような作業ですね。