佳世さんとのつながりでー島根へその2

 7日目の日曜日は有機農業協会でお会いしていたNさんのお宅にお邪魔虫に。その前に近くの沢を佳世さんのお母様と姪のリナちゃんと一緒に散歩。道こそあったが、人がほとんど通らないのか、朽ち木が横たわっていて、川辺にはところどころ野生のわさびが生えている。

 

 散歩からNさん宅に戻ると、ご主人と地域協力隊の青年が手回しの機械で脱穀してらした。私も一瞬だけやらせてもらったが、見るよりずっと手が疲れた。小麦を作るのは米に比べて手間がかかるので、小麦作りする農家は少ないということだが、Nさんの小麦はその上に無農薬なのでさらに大変で貴重なものだ。その小麦で焼いたパンのおいしかったこと。昼食の、畑で穫れた野菜のお漬物、煮物、ご主人のお得意料理マーボ豆腐にも舌鼓した。その後に畑でじゃがいも掘りもして、楽しい一日を過ごした。

 

 8日目。お母さんとリナちゃんが横浜のお家に帰るのに、佳世さんが広島まで送って行く。もちろん私もついていく。まず、宮島へ行くことに。世界遺産の宮島は厳島神社で有名だが、もみじ饅頭も同じぐらいに名が通っている。佳世さんの従兄さんが大手のもみじ饅頭の会社の部長をされていて、もみじ饅頭作り体験をすることに。もちろんその後に厳島神社にも入場して、平安時代から継承されてきた日本の神道文化を感じることができた。実際にそばに行って見上げた海に立つ大鳥居は、主柱が楠の自然木でデコボコ曲がっていて大変に存在感があった。

 宮島は全体が古くから神々の島とされていて、全国からの参拝客が多かったそうで、他にも神社仏閣、自然公園など見どころがたくさんある。今度は泊まりがけでゆっくり訪れたい。

 

 9日目は講演のための準備をしていたので、美郷に来て初めて外に出かけなかった。翌10日目の7月30日は、国際理解講演会の主催で「パキスタンのカラーシャ族の村で暮して感じたこと」のと題して、画像と共に話をさせていただいた。1週間前に講演が決まったわりには、30名もの方々が集まってくださり、1時間という短い時間ではあったが、カラーシャのこと、私の活動、周りの現状、最近の治安の悪化のことを話すことができた。

 

 11日目は佳世さんが取り組んでいる小麦プロジェクトの最終段階である、小麦挽きと小麦を使ってのパン、ピザ焼きの予行演習に参加。小型の電動挽き機を使っても、何度も機械にかけなければならず、けっこうな時間がかかる。カラーシャの水力で廻す粉挽きは1回で挽けるので、そっちの方が効率がいいことを確認。その後、Nさんが焼いたピザは絶品だった。じゃがいものスープもおいしかった。

 午後から佳世さんが半ドンの休みを取って、石見銀山のそばの大森町へ連れていってくれた。大森町の町並みは、世界遺産の石見銀山のそばだからか、景観に非常に気を配ってあって、古民家を手をかけてリフォームした「群言堂」をはじめとして、日本独特の趣きの中にも洗練されたおしゃれな雰囲気で感動ものだった。

 その後に、銀の積出港の温泉津(ゆのつ)も昭和の懐かしさが漂う温泉街に連れていってもらう。天然温泉の審査で最高評価を受けた薬師湯に浸かっていい気持。帰り道に通りの神社で半年に一度行う厄払いの祭礼にぶつかって、さらにラッキーな気持になる。

 

 美郷町とお別れの日は、一両電車の三江線で三次市に出て、そこから広島に行こうと思っていたが、佳世さんが車で広島まで送ってくれた。せっかくなので原爆平和記念資料館と原爆ドームを訪ねる。その後には「原爆展を成功させる広島の会」主催の「原爆と戦争展」の会場に行って、被曝者の真木さんの体験談を拝聴した。私は前々から戦争反対なのですが、今年は沖縄と広島の戦争資料館に行って、さらに強く「戦争は絶対にやってはいけない」と思った。

 広島から福岡まで高速バスに乗り、佐賀の家には夜10時半に到着。なかなか密度の濃い島根の旅でした。佳世さん、ほんとうにお世話になりました。感謝。