カジの語りの本作り


先月のブログの後半は、ちょっと後回しします。お許しを。


 カラーシャ唯一の語り部だったコシナワス・カジが5月のはじめに突然亡くなったことは、5月のブログに書いたが、その4ヶ月半ほど前、チョウモスの祭りが済んだ頃から、以前カジがルンブール小学校で生徒たちに話した録音テープから、重要なものを選び、冊子本作りを始めていた。まず最初に「チョウモス」を選んだ。


 テープ起こしはこれらの話を録音したヤシールと、英語の字がきれいなマシャールに頼んだ。以前にも書いたからもしれないが、カラーシャは元々文字を持っていない上に、あいまいな発音が多いので、その表記が非常に難しい。1990年代にクリスチャン・ミッション系の言語専門家たち(西洋人)が、カラーシャ語/ウルドゥー語/英語の辞書を作成したが、大変読みにくく、また、それは都会で作られたものだから、言葉の意味や訳がカラーシャの実生活とかけ離れ違っているのもそこここに見受けられた。


 その後に、ボンボレットで活動していたギリシャ人たちが、カラーシャ語の教科書を作り、ギリシャ人が建てた小学校では現在それが使われている。こっちの方は比較的読みやすく、そして書きやすい。そこで、私たちはそちらの表記を参考にさせてもらって、テープ起こしをした。それでもヤシールたちもカラーシャ語で書くのが慣れてないので、まちがいが多くあった。書いた後、何度もチェックしても、同じ単語がこちらとあちらでは別表記になっているのを見つけだしたりした。


 テープ起こしをしたものを、チトラールのカレッジで勉強していて、パソコンを持っているカラーシャ学生に打ってもらったが、パソコンの調子が悪かったりで、その作業が大幅に遅れて、USBスティックに保存したのを私の仕事場に持ってきたのは5月の春祭り後だった。


 キーの打ち間違いもあるだろうし、句読点がほとんど入れられていなかったので、その作業は私が行い、その後も何度もヤシールやサイフラーさん(彼は過去長い間、民族学者や言語学者の通訳としてコシナワス・カジと仕事をしている)に校正してもらって、ようやく6月に原稿が完成した。


 取りあえずはこれを20〜50部ほど、印刷するか、コピーして、キラン図書室に置いて、生徒たちに読んでもらうつもりだが、さらに冊子本を増やして、行く行くはきちんとした本にできればと思っている。