夢の三江線-2

 11月14日朝、橋本さんお手製のおいしいカレーとホームメイド・パンの朝食をいただいた後、2年前に地域興し協力隊として働いていた佳世さんを通じて知り合ったNさんが車で迎えに来てくださる。

 Nさんご夫妻は長い間神奈川県で働いてらしたが、定年退職の後にご主人の実家である美郷町に戻られ、お母様が一人で守ってきた田畑を受け継いで無農薬農業をされておられる。地域興し活動の一環として「麦のことをもっと知ってもらおう」と佳世さんが、当時、Nさんに協力をお願いして、畑を耕すところから麦播き、収穫、麦踏み、製粉、パン焼きとすべての工程を若い人や子供たちに体験してもらうという企画の最中で、私も製粉とピザ焼きにちらっと参加させてもらったが、無農薬の小麦作りは思った以上に手間がかかることを知った。

 

 Nさんご夫妻は小麦だけでなく米や野菜はもちろん、お花やはちみつも作っていらっしゃる。高齢のお母様と障害を持つお子さんのお世話もされているその湧き出でるエネルギーには驚かされ脱帽してしまった。しかもまた、ご夫妻は明るくて、いつも笑顔なのだ。気配りも半端ではない。あの時知り合っただけの私にも、米や農作物、しまいには寒いでしょうと新品の上着までも宅急便で送ってくださる。荷物にはいつも手書きの絵と暖かい言葉が書かれた手紙が添えてある。多忙の中、どこから時間を紡ぎ出しておられるのだろう。

 

 そういううつながりがあったので、三江線に乗る計画が決まったときに、Nさんにも連絡したら、旅の2日目に近辺を案内してくださるとおっしゃる。恐縮しながらも、ありがたい申し出を素直に受けたが、その直後にお母様が逝去された。あと1ヶ月で99歳という年齢からすると大往生だろうが、「まだまだ母への恩は返し切れてない。もっと生きていてほしかった」とおっしゃるNさんご夫妻に、さらに頭が下がる。

 

 お葬式から続くたくさん法事で大忙しなのに、11月14日はキャンセルされず、迎えに来て下さった。まず、お家に伺い、お母様にお線香をあげさしてもらう。2年前にお会いしたお婆ちゃまは、たくさんの百合や菊の花に囲まれて遺影の向こうで微笑んでらした。25歳で戦争未亡人となり、年老いた両親の介護、不慣れな農作業、子育て、孫の介護と激動の1世紀を生きてこられた。Nさんは「母を支え、励ましくれたのは地域の大勢の皆さんであり、癒されたのはこの豊かな自然と景観だった」とおっしゃる。

 

 Nさんが立てた抹茶とお手製の羊羹に一息つき、今年獲れたフスマ入りの貴重な小麦粉を分けてもらってから、いざ出発。Nさんお気に入りの三瓶山麓に広がるすすき野の景色に感嘆した後、石見銀山世界遺産センターに。Nさんはセンターのお馴染みということで、私たちに案内の方がついて説明してくださり、とても分かり易かった。

 

 そして美しい日本家屋が建ち並ぶ大森町を散策。2年前に佳世さんから連れてきてもらっていて、こんなに素晴らしい町並みが日本に残っていたのかと感動したが、その時はけっこうな雨にぶち当たり、群言堂をメインに時を過ごした。今回は大森町を存分に堪能できた。しかし、人がいないのは残念。もったいない。

 

 2日目の宿、潮温泉の大和荘まで送ってもらい、Nさんも一緒にお湯に浸かる。そのまま夕食もご一緒できればと思ったが、雨が降り出し、暗くなってきていて、山道の運転も危ないので、ここでお別れとなった。Nさん、ほんとうにお世話になりました。

 

 大和荘のお湯はこの付近では一番良いと言われていたが、塩っぱくてほんの少し濁った感があるお湯は確かに効き、一晩中ポカポカで、毛布も何も蹴っ飛ばして寝ていた。