夢の三江線-3/行ったり来たり三江線

15日朝、大和荘のお湯で体はまだぽっかぽか。

 

ひえー!逆方向に

 三江線沿いの景色を楽しむのだったら、朝7時半の江津行きの三江線に乗った方がいいと言われていて、朝食を早く食べねばと緊張していたが、大和荘の番頭さんが江津行きは7時58分だとおっしゃたので、少し余裕の気持ちで宿をチェックアウトして、すぐ近くの駅まで宿の車で送ってもらう。

 

 夜ずっと降っていた雨も上がり、朝靄に包まれた紅葉の山が江ノ川に映し出されたその幻想的な景色に、無人駅のホームに立ってる我々はまるで夢の中にいるよう。すぐに言われた時刻に電車が来た。沢谷の方に行くはずだと思っていたけど、電車は沢谷の方から来た。おかしいなと一瞬思ったが、この付近をよく知っているわけでもないので、乗り込んだ。

 

 橋本さんの最寄りの駅に近づいてきたので、一昨夜泊めてもらった橋本さんの家を探したりしていたが、そのうちに「この電車は三次行きです」とのアナウンスにいさ子さんが気付いて、「あらまー!」。次の何もない無人駅で降りて、長いこと江津行きの電車を待つよりも、三次まで乗っていた方が景色も楽しめるではという道子さんの意見で、そのまま三次まで行くことにした。

 

 ということで、三次で同じ電車の中で30分ほど待って、江津に向けて出発。つまり我々は2日前に乗った三次~口羽を3度行ったり来たりしたことになったわけだ。三江線は十分堪能できたが、折返し乗った電車は江津まで行かずに石見川本という駅止まりで、そこで1時間半、時間をつぶさねばならなかった。川本の町は、三江線が廃線になるときいて、にわかに増えた乗車客が駅を出て歩いているだけで、地元の人はほとんど見かけない。そのわりには空の巨大な公共施設っぽい建物や妙に目立つデザインの警察署が立ち、奇妙な感じがした。唯一、弓が峰八幡の苔まみれの狛犬たちの古さに救われた。

 

江津の甍通りとタクシー運転手さん

 本来なら朝10時前に着いているはずの江津には午後3時前に到着。古い町並みがあるときいていたので、駅員さんに尋ねると、三江線の一つ手前の駅にあるというだけで、詳しい情報は何も教えてくれない。駅の前に止まっていたタクシーの運転手さんにきくと、1500~1600円で行って往き帰りする距離にあるという。それではと、3人でそのタクシーに乗る。

 

 古い町並みは「甍通り」と言うところで、期待以上の雰囲気があった。しかし、ここも誰も通行人はおらず、何の説明もなく、荒れ放題で心が痛んだ。せっかくの古い美しい伝統文化をもっと残すようにできないものか。

 

 一つ良い話は、我々が甍通りを見物している間、待っていてくれたタクシー運転手さん、帰り道、駅に近づく寸前で、1550円だったメーターを下ろした。このままだと1600円以上にメーターが上がる。出発する際に1500~1600円と言ったからにはそれ以上はもらえない、とおっしゃるのだ。「」今だけ、金だけ、自分だけという世の中に、こういう自分の言葉にきちんと責任を持ってらっしゃる人に出会うと感動してしまう。この運転手さんのおかげで、江津の株が上がったと言える。どっかの政治家たちに聞かせてあげたいものだ。

 

温泉津温泉の長命館

 再びJR線に乗って温泉津温泉駅に5時ごろに着いた。昔は石見銀山からの銀の積み出し港があり、その仕事に関わる多くの人たちで栄えた温泉津温泉である。荷をおろした長命館は、木造築100年の堂々とした三階建てで、お湯は向かいの「元湯」。湯と宿を一緒にすると、宿の建物が痛むということから別になっている。

 

 温水、冷水を混入せず、また加熱、冷却せず、2~3メートルの地底から自然に湧き出るままの源泉が売りの「元湯」には、泊まり客や地元の方々が常時使っていた。広島の被爆者もこの湯で湯治していたというから、効き目は確たるものだろう。しかし熱かったにゃー。最初は足を1秒入れるだけで飛び上がってしまった。だんだんと慣れて、不思議とあの熱々の刺激がたまらなくなってくるのだ。

 

 ここも町全体に閑古鳥が鳴きまくっていた。宿のスタッフも年配のおばさんばかりで、若い人がいない。でも、宿の食事は、ノドグロの唐揚げ、鴨肉の鍋などプロの上品な味で、とっても美味しかった。また訪れたい。

 

 

 この4泊5日は、美しい自然の景色、暖かい人々、地元の恵み、古い歴史、湯治を満喫した最高の旅でした。