冠婚葬祭続き日常生活は始まらず−2

 サイフラーさんのお父さんは昨年も5日間ほど意識もなく何も食べず生死の境をさまよったが、運良く蘇って、村内の別の寝たきりの老人を毎日見舞うほどの元気を取り戻したくらいだから、今回2日前にサイフラーさんの母屋に普段通りに座っているお父さんを見ていたので、彼が寝込んでしまい意識もないと聞いても大したことはないだろうと思っていた。しかし今度はあっさりと神の元に旅立ってしまった。

 

 

 

 カラーシャの有力者サイフラーさんの父親ということで、多くの人々が集まり、4日間の葬式で36頭の山羊と5頭の牛が裁かれ、たくさんのチーズ、純粋ギー、が小麦タシーリ(カラーシャの平たいパン)と共に弔いの人々やルンブール谷の家々に配られた。

 5月12日はその葬式の最終日で、同時に春祭りジョシの最初の行事「野草摘み」が始まる日でもあった。ルンブール谷の年配たちは、祭りの始まりに山羊小屋を浄める粉も全家庭が用意できてるわけでもないので、1日祭りをずらそうと話合いでいったん決めたが、後でカラーシャ谷に駐屯する陸軍から、ずらすと兵士の配備の問題があるということで、結局葬式の終わりと祭りの始まりが同じ日になった。

 ジョシの祭りには、取っておいたミルクやチーズをたらふく食べてから、踊り場に登って、踊りに参加して楽しむわけだが、例年のごとく大勢のパキスタン人のツーリストが踊り場周辺に群れをなすのに加え、外国人ツーリストも増えており、彼らツーリストのほとんどがカメラ、スマホで写真を撮りまくる。今ではツーリストだけでなくカラーシャの若者たちもスマホを持ち、写真や動画を撮るので、祭りというより「撮影会」みたいになっている。もう一つ気づいたことは、年配の参加者が減ってきているので、大ジョシで皆で行う踊りの手順、やり方がわからなくなって、以前美しく揃ってやっていた「鎖の踊り」も鎖の列は切れるわ、幾重にもならねばならない輪にもならず、つまらないものになった。

 祭りの少し前に、子供、大人、青年たちに学校、村の広場、AKIKOの家の図書室に集め、長老たちによって祭りの意味、意義などの説明、やり方、決まりなどの会合を持つべきだとつくづく思った。あと、写真撮影する人にはカメラ一台につきいくばくかの撮影料を徴収したら撮影する人も減るかもしれないし、それらの料金を踊り場のメンテナンスなどに使えばいいと思う。