ウチャオ祭が終わる

 例年のように8月22日にルンブール谷とボンボレット谷ではウチャオ祭が開かれた。5月の終わりから高地の山羊の放牧地に滞在していた男たちがチーズを背負って山を降りて来て、まず聖域サジゴールでチーズを捧げる儀礼をする。そして、この祭りが終わったら、人々は畑の作物の収穫に専念する。

 女たちは早朝からたくさんの小麦粉のタシーリ(客用・行事用のクレープのような平たいカラーシャのパン)を焼く。サジゴールでの儀礼を終えチーズと共に各家庭に帰って来た男たちを迎え、家族たちはニコニコ顔でチーズをたらふく食べる。それぞれの家が嫁に行った女家族や近い親戚にもチーズとタシーリを配るので、どこの家もこの日ばかりはチーズだらけになる。どさくさに紛れて、奥のヌーリスタン村の男や定着した遊牧民などもビニール袋を用意して、ちゃっかりチーズとタシーリを集めて回ったりする。

 

 グロム村の踊り場では朝から太鼓の音が鳴り響いていたが、まだ人は集まらない。人々はチーズの食事をとった後、昼頃から踊り場に集まり出し、年配男性たちが歌う歌や物語に合わせて、周囲を取り囲むようにして踊る。3~4人で肩を組んでくるくる前回り、後ろ回りで踊るテンポの速いチャー、一列横並びになり、カニさん歩きのような踊りドゥーシャック、一列横並びで物語の歌に合わせてゆっくり右移動するダジェイーラックと、カラーシャの踊りは三つの型が基本だ。その他に一人で両手を挙げて回りながら踊るバズムもある。

 

 観ているだけでは、中央で男性たちが歌う歌はまったく聞こえないし、踊りもパターンが決まっているので、正直飽きてしまう。やはり祭りは参加しないとつまらない。と私もワインを引っ掛けて、チャーを踊り、祭りを盛り上げるためにバズムを踊った。

 

 

 春祭りのジョシに比べればウチャオは知られてないので、パキスタン人観光客は少なかったが、それでも今の時代、ほとんどの観光客はスマートフォンを持っているんで盗み撮りされ、勝手にフェイスブックなどにアップされたりして、代々伝わる祭り事をやろうとしているカラーシャにとってはたまったもんじゃない。もちろん、今時の若いカラーシャたちもスマホで女の子の写真をバチバチ撮って、知らん顔してフェイスブックにアップしてたりするけど。

おかしなツーリズム政策

 ウチャオの前の週だったか、ボンボレット谷でマイノリティ大臣をチーフゲストとする大々的な集まりがあった。結局その大臣は都合がつかず出席しなかったが、パキスタン軍のお偉方が臨席したということ。ルンブール谷からも車が5台チャーターされ、男性50人、女性20人が参加させられた。(女性参加者は主に踊りを踊るため)

 最初主催側は、博物館や学校が運営されている、ギリシャ人援助で建てられた「カラーシャの家」で開くことにしていたが、博物館などのカラーシャ従業員から反対されてしまい、アニージ村のPTDC(政府観光局のホテル)で行われたという。

 この行事の主旨は「カラーシャの祭りを宣伝して、もっと観光業を盛り上げよう」というものだった。観光客を呼び寄せるために、政府や海外ドーナーは○千万ルピーの予算をかけてボンボレットまでの道路の幅を大きく広げ、谷のホテルや店を開業する支援金も出すという。

 道路が良くなるのは住民も歓迎するが、これまでにも道路だけでなく、同じようなスローガンが何回も掲げられて、何回その場限りのムダ金が費やされたことか。道路にしても他のプロジェクトにしても、結局は工事の請負人とその関係者がとてつもなく潤うだけで、工事が完璧に遂行されたことはこれまでにない。

 ステレオタイプのお役人やオフィスのお偉方が机上でカラーシャについて考えることは、「ジョシの祭り」、「踊り」、「女性の民族衣装」、「生理・出産のこもり小屋への援助」、「ジェシタック神殿などの宗教施設の建設」、これしかない。いや、近年は外の人間だけでなくカラーシャのNGOや議員も同じように唱えている

 

 先のブログで紹介したボンボレットのクラカル村のように観光村化していればともかく、どれだけの割合のカラーシャが観光業に関わっているのか。カラーシャの谷を行き来する観光客用の割高ジープも、カラーシャ谷への起点となるチトラールの町のホテルも、食堂も店も商売をしているのは資金を持っているムスリム達である。パキスタン人相手にホテルを運営しているか、こっそり酒を飲ませる商売をしているカラーシャはわずかにいるが、一般のカラーシャはまったく観光業に依存していない。

 

 せっかく続いている伝統的な祭りも、その時だけ観光客が増えて、カラーシャたちは博物館のジオラマのように見世物になり、スマホでバチバチ取り放題の観光客と、ただ突っ立っている大勢の警官や兵隊に邪魔されて、祭りを盛り上げるどころか、雰囲気を壊して台無しにしている。

 、観光、観光と何かにつけて声高に言うが、「州観光局のツーリスト・センター」がチトラールの町に存在していることすら観光客に知られていない。マウンテン・イン・ホテルの隣にあるこのセンターには、何種ものカラー刷りの情報パンフレット(情報が間違ってるのもあるけど)も置いてあるのに、観光客がほとんど来ないので、カラーシャ人の所長以下4名のスタッフは暇そうにしている。私はトイレを借りたり、電気があるときはインターネットをしたりしてお世話になっているが。

 本当に観光客を、特に外国人旅行者をカラーシャ谷に呼び込みたいのなら、まず、ここ数年間外国人旅行者がチトラール警察署で外国人登録をする際に、強制的に付けられる護衛の警官を止めてしまうことである。そうでなくとも各カラーシャ谷には現在数十名の警官、数十名の陸軍兵士、そして国境警察十数名が駐屯している。ボンボレット谷にはその上にチトラール・スカウトも駐屯している。

 ボンボレット谷では過去にNGOの外国人が拉致されたり、殺害される悲劇があった。しかしそれは別の原因があったからである。パキスタン都市部に比べると圧倒的に平和なカラーシャ谷では、外国人旅行者個別にお互い言葉も通じないチトラールの警官を付けるのは、外国人旅行者にとって足枷になるばかりである。必要性はまったくない。今現在カラーシャ谷に駐屯する多くの警官や兵隊が、国境から谷全体を包括的に警備すればよいではないか。もし、外国人旅行者が谷を散策するときは、すでにカラーシャの村に何人もいるカラーシャ警官がガイドがてら案内すればよいと思う。

 観光業を発展させると一方でいいながら、一方では外国人旅行者に護衛警官を強制的に付けるという制度はどう考えても矛盾している。この制度のために外国人旅行者が来なくなっているということを政府は気がつかないのだろうか。

 

  カラーシャ社会に必要なのは、前々から言っているように、例えば山羊のチーズ作りとか、杏・クルミオイルとか、ドライフルーツなどの地場産業を起こし、雇用を増やすことである。最近は警官などの雇用が増えて、カラーシャは以前に比べたら経済的に豊かになって来ているが、きちんと働いている人間は少ない。働き盛りの若い世代が、一番働ける時期の春から夏にかけて、庭の草むらで人が集まれば賭けトランプに興じ、仲間がいないと午前中でもグースカ昼寝している様を見ると、他人事とはいえがっくり来てしまう。

 まずやはり、最優先すべきは、地場産業を起こし運営していける人物の「人作り」だろうなあ。