バラングル村にもどってから2週間

 村に着いた夕方、こともあろうに我が家だけに電気がつかず、すぐに発電所の担当の村人を呼ぶが、原因不明でその夜は電気なし。ロウソクのぼんやり灯火の中、6ヶ月分の埃を掃除することもできず、荷物も解かずに、電気がなかった頃を思い出しながら寝る。

 翌日の昼間は部屋の大掃除。電気に関しては、別の配電担当の村人が来て、電信柱に登って電線をはずたり、配電盤をいじったりしていたが、しまいに外の電線を総替えせねばならないと言う。

 どうも先日、目の前に立つクルミの木の所有者が麓の町から来て、クルミの実を収穫していったが、実を落とす際にうちの電線を痛めたのではないかという。実が当たった所が損傷するのはわかるが、電線全体40mも一気に痛むものなのか疑問は持ったものの、翌々日、別の人に麓の町まで電線4を買いに行ってもらい、夕方、今度は最初に来た発電所担当者が来て、新しい電線と取り替えるが、電気はつかず。

 4日目に配電担当者が来て、やっとおおよその電気がついた。しかし、図書室がある1階はまだつかないし、外の防犯用の電気のスイッチが壊れて、それからずーと昼も夜も付けっぱなしになっている等の修理には何度催促しても来てくれず、それも見越して賃金を多めに払ったのが間違いだったようだ。

 

 まあ、何にしても、晴天がほとんどなくて曇りがちの薄暗い日が続いているので、私たちの電気はここのところ昼間も止まることなく付いてくれているのでありがたいことはありがたい。

 

村の変化

 留守中に村の様子が変わっていた。家々をつなぐ土埃とゴミだらけの路地が石畳風になったことだ。

 前々から、昔訪れたネパールの山村のように、石を敷いて石畳にすれば、土埃が舞うのも減り、見た目も綺麗なのに、周囲に石がわんさとあるし、若者たちもたくさんいるから、ヤール(日本の結のような共同作業)でやれば一気にできるのにと思っていた。昨年、ボンボレットのクラカル村の親戚を訪ねた際に、まさにそれ、石畳の路地が村中張り巡らされていて感銘を受けたものだが、このバラングル村がすぐにそうなろうとは想像してなかった。これは「パキスタン貧困対策機関」の援助らしいが、有益な公共事業だったと思う。

 

 と、路地は改善されたし、家の前は掃かれ、以前に比べるときれいになった。しかし、不特定多数が通る道や路地に散らばるスナック菓子の袋ゴミは増える一方だ。

 月給取りが増え、女性への現金支援もあり、金回りが良くなった分、子供に甘いカラーシャ大人は子供にせがまれると、簡単に10ルピー、20ルピーを渡す。ここ数年間で村には店屋がにわかに増え、子供たちはすぐそばの店に走り、菓子を買い求める。

 また今のクルミの収穫後の時期、毎日子供たちは収穫されそこなって落ちたクルミを求めて、木から木を歩いてクルミを集める。それを店に持っていくと、菓子と交換してもらえる仕組みになっているのがやばいのだ。

 子供たちは歩きながら、遊びながら、バリバリ袋菓子を食べ、食べ終わったら、道だろうが、河原だろうがかまわず、ポイとそこら中に袋を捨て、環境を汚す。また、菓子でお腹いっぱいになってるので、挽きたての粉で焼いたカラーシャの主食も、畑の甘酸っぱいトマトのソティーも食べない。そして夜寝る時に歯を磨かないから、虫歯だらけになり、若い頃から歯っ欠け人間になり、早々老けるはめに陥る。

 

 一番のネックは「店」。ジャンク菓子を売る店がなければ、ここまでゴミは増えないはず。店屋と親たちの意識改革が必要だ。