3期(2007年11月〜2008年11月)からの、「AKIKOの家」およびルンブール谷での活動報告をご覧になれます。

 

⚪11期活動便りー2016年12月発行

 

 あっという間の1年でした。ここ数年は日本とパキスタンをおよそ半々で過ごしていますが、今年はパ キスタンには4月から10月までの春から秋の良い季節に滞在しました。 それまで持っていたパキスタン政府のIDカードが、アフガン難民や外国人テロリストが不正に利用す るために使えなくなり、新たに滞在ビザを取得するはめになってイスラマバードからペシャワールに2 度行ったり、以前出版した写真集の再版の打ち合わせにラホールまで出かけたりして、カラーシャ族の 住むルンブール谷には1ヶ月後の5月にたどり着きました。

 

 昨年夏私が谷を去ったすぐ後、ルンブール谷、ボンボレット谷が数回にわたって大規模な鉄砲水に襲われて、上流の家屋が流され、収穫間近の多くの畑が泥を被って大きな被害を受けたので心配していた のですが、救援物資でどうにか凌いだということで、村人の表情は思っていたよりも明るかったのでほっ としました。日本の草の根援助で苦労して造った水力発電所も、6年前の鉄砲水で壊れた発電機を修理しつつ、土砂崩れでしょっ中決壊する水路を男たちの人力で直しながら、時々停電はしますがどうにか 動いていました。(チトラールの町の電気よりも停電は少なく安定している)

 

 IS(イスラミック・ステイト又はイスラム国)が東部アフガニスタンに入って来ているとの情報で、国 境に近く非イスラムのカラーシャ族はISやタリバンに狙われる可能性が増すと危惧していましたが、隣のボンボレット谷の放牧地で山羊泥棒集団にカラーシャ男性2人が殺されるという残念な事件以外は、人々は普通に暮らしていました。相変わらず警官や兵隊が駐留していますが、お互いの存在に慣れてきた感じです。(本当はうっとうしいから出ていってもらいたい)

 

 つい先日は安倍首相とオバマ大統領が真珠湾攻撃の犠牲者に献花し和解の力を訴えました。それなら 安倍首相はどうして大戦の大きなツケをこうむった沖縄と和解する態度を示さないのでしょうか。オバ マ大統領もアメリカが仕掛けたアフガニスタン、イラク、シリアの戦争・混乱に対してもっと積極的に 戦争・混乱の終結にもっていかないのでしょうか。いくらきれいな言葉を並べても行動で示してもらわ な いと不信感が募るばかりです。

 

 2017年は、真の意味で、世界で起きている争いが和解から平和になるよう祈るだけでなく、自分の できる範囲で行動もしていかねばと思います。そうなるとカラーシャの谷から兵隊も去り、外国人観 客も訪れるようになり(あまり多すぎず)、クラフトの活動なども活性化すると思います。 

 

「AKIKOの家」

「外国人がNGO活動しているとタリバンたちに狙われる」と、谷に駐留する警官や兵隊たちがうるさいので、今年も活動は控えめで。その代わりに「AKIKOの家」をトタン屋根にした。「伝統を守りたい、トタンは値段が高い、安っぽく見える、夏暑く、冬寒い」などの理由で、土の屋根で10年頑張ってきたけど、春先の雨漏りがひどく、毎年のようにビニールシートとふるいをかけた土で修理してもダメ。本や道具の損失も考慮して、一大決心。雨漏りの悪夢から解放されたので、来期は早めに谷に戻りたい。 

 

教育援助

3年前に土砂崩れで流されてしまったルンブール・カラーシャ小学校は前々から再建設の話があるものの、 石塀のみが造られ、学校はまだ建てられず、今もテントと神殿で授業が行われている。

 

クラフト活動

クラフトを購入してくれる外国人旅行者が少ない上に、作業に慣れた村の女性たちが育児等の理由で働け ず、今期は私一人で新しいクラフトの開発を続けた。この数年間は数は少ないとはいえ、できたクラフト 日本に持ち帰って、報告会や集いの機会を設けて、そのときにクラフトを披露して意見を聞いたり、買っ てもらい、その売上げの一部を活動費に還元している。 

 

カラーシャ語の冊子 昨年逝去した語り部の話をテープ起こしして、「ルンブール谷のチョウモス祭」の冊子を作ったが、さら

にチェックしカラーシャ語のスペルを直し、新しく図書室用に作り直した。私の留守中にもヤシール先生 と若者たちで残りのテープ起こしの作業を続けてもらっている。

医療援助

パキスタンでは、給料取りがいない家庭の各女性は「ヴェナジール女性現金給付金」が3カ月毎に4500ル ピー支給されるが、リストから外れて全くもらえない女性もいるし、逆に給料取りが家族にいるのに支給 を受けてる女性も多々いる。今期も、給料取りもいなくて給付金も受けていない家庭で、肺炎にかかった 老婦人と乳児に治療費の一部を5000ルピー支援した。

イスラマバード滞在

一時帰国前の10月のイスラマバード滞在では、日本大使館公使、少数派代表国会議員ほかの方々と有意義 な面談ができた。PPAP(パキスタン貧困軽減計画)のCEOとは、上記の語り部のテープ起こし作業後、本 の出版の実現に向けての協力を取り付けた。少数派代表国会議員には、現金給付金の不公平な配分を是正 してもらうようお願いし、来期に正確なリストをヤシール先生たちと作成して提出する予定。 

 

 

○10期活動便りー2015年12月発行

早いもので、今年も終わろうとしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?今期の活動報告は一時帰国中の日本からの発信となりました。

 

 今回は昨年12月はじめから今年の7月までカラーシャの谷に滞在しました。狭い共同体である谷の中はいつもと変わらないのですが、山向こうのアフガン国境から越えてくる武装勢力を阻止する名目で、数年前から谷に駐屯しているチトラール警察やパキスタン軍の存在で、カラーシャ谷の自由で明るい雰囲気が削がれていることは確かです。祭りは警官や兵士たちに囲まれて行われます

し、私にも護衛の警官がついていて、なんだか束縛されているような気持ちになります。

 

 5年前に「AKIKOの家」2階に個室がようやく完成したし、その後日本の両親も見送ったので、本来ならばバラングル村で腰を据え、実のある暮らしと充実した活動を展開したいところでしたが、今年も、クルミやリンゴの収穫もできず、すべてが中途半端な状態で一時帰国の途につきました。

 

 日本では安保関連法案が強行採決され、全く必要のない集団的自衛権のもとに、自衛隊がアメリカや西欧諸国にくっついて戦争に参加する恐れが現実化しました。IS(イスラミック・ステイト、又はイスラム国)がアフガニスタンのタリバンの内輪揉めに便乗して東部アフガニスタンまで来ているといいます。小学校と図書室で教育活動をするヤシールへの給料支払いや、発電所の修理のためにも、早く谷に戻りたいところですが、戦争をする国になりつつある日本国民の一人として、正直ISの存在はタリバンよりも怖いです。

 

 世界中、テロで騒がれているこういう時こそ、日本は「戦争しない国」、「平和宣言の国」の旗を大きく掲げ、難民救援や人道支援で活躍するべきではないかと思うのですが、思いとは逆の方に向かっているようです。自分の唯一の住処であるバラングル村の家に戻るのも躊躇してしまうこの現状に暗い気持ちになります。でも春には戻るつもりでいます。

 

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鉄砲水被害 

 7月に私が谷を出た直後から8月はじめまで数回にわたって、カラーシャ谷はこれまにない大きな鉄砲水に襲われました。5年前の鉄砲水も前代未聞と言われましたが、規模は大きくなる一方のようです。原因

は地球温暖化と、金もうけのための違法で制御のない山林伐採だと思われます。原因の種をまいたわけでもない、地元の多くの人々が多大な犠牲を強いられる惨状になっています。カラーシャ谷のほとんどの畑の作物が被害に遭い、冬になった今も救援物資に頼っていて、電気や水道もまだ復旧していないということです。

 

写真左::春、玉ねぎの苗を植える。これらすべてが夏の鉄砲水災害で泥水を被った。

写真右:小学校は2年前土石流で全壊したままなので、私たちが支援する教員ヤシールはテントで教える。

 

 

 語り部去る 

 5月の春祭りの前、カラーシャでただ一人のシャーマン的語り部、コシナワス翁さんが急逝しました。華奢な体で足も悪く、歳も80を越して

ると思われる爺さんでしたが、病をわずらってもいつも不死鳥がごとく蘇るので、まさか逝ってしまうとは思っていませんでした。爺さんの死はカラーシャの伝統や宗教の面で大きな損失といえるでしょう。

 

 

 

 

カラーシャ語の冊子

 幸か不幸か、私たちの伝統文化継承活動の一環として、2002年から4年間、爺さんに小学校で生徒たちに語ってもらっていて、爺さんが亡くなる前から、録音したテープを起こして本を作る作業を始めていました。本というほど大げさなものではないのですが、爺さんが語ったそのままのカラーシャ語の本です。キラン図書室で子供たちに読んでもらえばと思っています。

 

まず第一冊目は「ルンブール谷のチョウモス祭]を仮の段階で作ってみました。

 

写真左:テープ起こしをした後、ヤシールと私で手を入れ、それをチトラール・カレッジ学生のフェローズ・シャーがパソコンに打ち入れ、さらに何度も目を通し、最後にサイフラーさんにも見てもらいました。

写真右と下:写真を入れてレイアウトしたものをプリントアウトして、7月にパキスタンを出国する前にイスラマバードでコピー冊子をとりあえず2部作り、ヤシールに送りました。

 

 

 

キラン図書室

 学校の冬休みになってすぐは、例年のごとく大盛況。私も支援者から贈呈された紙芝居「チョロ

リ」をカラーシャ語に訳して紙芝居を披露したりしましたが、たいていは監督をしながら、クラフ

ト作業に精を出していました。子供たちは声を出して読書をするので大変うるさいけれど、子供た

ちのエネルギーをもらえていいのかも。2月に入ると村の行事が多くて、子供たち、特に男の子た

 

ちは野次馬根性でそちらに行ってしまい、出席率は悪くなりました。

 

写真左:図書室で冬休みの宿題をする子もいる。全体的に女の子が多い。

写真右:時間前から図書室の前に集まり、「手は洗ったよ」と2階にいる私に見せる子供たち。

写真下:雪で入り口が濡れるので、軒下に古いビニールシートを貼り、靴箱も入り口に移動させました。手にしているのはストーブにくべる薪。

 

 

 

創作クラフト

 パキスタンの治安問題で外国人観光客が来なくなり、「AKIKOの家」で販売できる機会がなくなったので積極的に活動するには至りませんでした。一人目の子育てから開放されたルビザールと、臨時雇用の契約が終わって手が空いたグリスタンに「山羊もようのコースター」を少し作ってもらいました。私は織り紐をあしらえた「ペンケース」を縫い、新しい試みとして、編み紐から「ペットボトル入れ」などを創りました。

 

写真左:編み紐を使ったペットボトル入れ

写真右:織りの札入れ

 

写真下ナツメの種と貝で作ったネックレスとブレスレット。小枠はナツメ。

 

 

 

医療支援

 夜中に腹痛を起こし、高い金額で車をチャーターしてチトラールの病院に連れていき、3~4日入院し

たら大体良くなるが、また一ヶ月すると再発する3歳の坊やが、この6月はチトラールの病院に入院して

も治るどころか、水も薬も吐き出し危険な状態に陥ったので、急遽ペシャワールに連れていくことにな

り、私も同行しました。大病院の小児科部長に診せ、念のために別な小児科スペシャリストにも診せま

したが、手術はしなくて薬で良くなりました。この治療費の一部を支援しました。

 

 他には今期も、妊婦、授乳している母親、お年寄り、病人に黒砂糖を配りました。

 

 

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○9期活動便りー2015年1月発行

 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


 パキスタンの治安の問題のためにここのところは、アフガニスタン国境からタリバン/過激なムスリム原理主義者が国境越えしにくい雪の季節のみバラングル村で暮らすというパターンになっていて、一年の両側がカラーシャでの生活、間が日本の生活という二重生活を送っています。全く違った生活体系なので、人生を二つ体験しているようで得をした気分ではありますが、そろそろパキスタンの辺境地と日本の九州を行ったり来たりするのが、面倒でもあり、飽きてもきています。気がつけばけっこうな齢になっていますしね。

昔をなつかしがる年代に自分がなったので、こういった変化をより強く感じるのかもしれません


 新年に向けて願うことは、まず平和です。アフガニスタン、パキスタンが平和になれば、以前のように一年を通じて村で暮せます。二つ目はルンブール谷へのジープ道路の整備です。一昨年、昨年の土砂崩れで、道路は非常に危険な状態ですが、まったく修理されていません。現実的には、タリバンよりも道路のリスクが百倍高いと言っていいくらいです

 一方でカラーシャたちの生活は確実に向上しています。(警官の)雇用が増え、前政権(パキスタン人民党)のヴェネズィール女性基金から多くの家庭が毎月支給金をもらうようになったのが大きな理由かと思えます。しかしそういう支援金からはずれている運悪い家庭もあり、貧富の差もまた開いてきているようにも思われます。「AKIKOの家」でさえ、周囲に合わせて従来の土の屋根にしたのに、今では村で新築する半分以上の家がトタン屋根です。(トタン屋根はコストがかかるが、雨漏りしないし、雪かきも不必要なので、こちらでは一種のステイタスになっている)


 隣のボンボレット谷では、厳粛だったチョウモス祭りの超聖なる期間のたった三日間でもテレビを見る家が多くありました。若者たちは祭りの歌を歌う横で、携帯電話を耳に当てて話をしています。

 昔をなつかしがる年代に自分がなったので、こういった変化をより強く感じるのかもしれません

まあ、成るようにしか成らないので、ぶつくさ言うよりも、これからはカラーシャ独特な文化を残していく活動、そして生活・行事の記録および動画の編集などに力を入れていきたいと思います。


キラン図書室

AKIKOの家」は一昨年の土砂に襲われて、一階の図書室にも泥水が入り込み、たくさんの本が泥まみれになりました。汚れた本は濡れタオルで拭いて読めるようにしましたが、廃棄せざるを得ない本もありました。11月、イスラマバードの国立書籍財団で、絵本など子供向けの在庫の本をすべて購入しましたが、それでも34冊しかありませんでした。(パキスタンでは子供向けの本はほんとうに少ない。)

 子供たちのお楽しみのDVD上映は、プレーヤーとステビライザーの調子が悪くてほとんどできなかったにもかかわらず、子供たちは2ヶ月間の冬休みの毎日午後2時から開ける図書室に1時間以上も前からやってきて、外で「ライブラリー、ライブラリー

と騒ぐので、早めに開けることもありました。勉強道具を持ってくる子、図書室の絵本を読む子と様々ですが、近頃は女子が圧倒的に多いのが目立ちます。





教育援助

・一昨年の土石流で潰された小学校の再建は未だになされてなく、小学生はテント、神殿、ムスリム小学校と3カ所に分かれて勉強しています。テント教室は天気が悪いとまったく話にならないし、神殿の中も寒くて火を焚くと煙だらけで、そういう日は早めに授業が終わります。私たちのサポート教員ヤシールは主にテント教室で0学年と1年生を教えています



なお9期も、自宅で通信大学を受けている数人のうち、経済的に余裕のない家庭の若者3人に、ボンボレット谷で勉学している優秀な高校生1人に一部経費を援助しました。



 

AKIKOの家」のメンテナンス   

1月後半から1m~1.5mの土砂に覆われた「AKIKOの家」の裏手と図書室の西側の整地をしました。(1月末まで雪が降らなかったので助かりました。)また、土砂で石壁の高さが短くなった分、村人の通路でもある裏の水路側から人が入りやすくなっているので(夜にこっそりウンチをする)、材木でフェンスを造りました。

 

 図書室の屋根の雨漏りは8期の屋根修理でほとんど治まったものの、今度は私の部屋兼オフィス兼クラフト作業室と、台所兼紙すき作業室の雨漏りがひどくなりました。そこで12月末にふるいをかけた土の間に新たなビニールシートを敷いて土をのせる作業をしました。


医療援助 

月給取りがいない家庭、ヴェネズィール女性給付金からはずれた家庭など経済的に困難な家庭で病人がでた場合に、治療費の一部を援助していますが、9期は鼻内の腫瘍を取る手術(4万ルピー)を受けた女性に1万ルピー、生理出産小屋で夜中に悪霊に取り憑かれ、数人で押えてもはね返すほど力を出し、挙句にひどい腹痛と吐き気を訴えて、チトラールの病院に運ぶことになった娘の治療費(2泊3日の入院と車チャーター代で8千ルピー)のうち4千ルピーを援助しました。

なお今期も、妊娠中、授乳中の女性、病人、お年寄りがいる家に黒砂糖を配りました。      

 

クラフト活動

村を訪れる外国人旅行者が少ない、作業してくれていた女性たちが育児などでできなくなった等の理由で規模は縮小。冬の間、2階の部屋で細々とコースター作りなど行い、衰退する一方のチトローヤック紐の織り方を1人の女性に伝授して、外注で暇々に織ってもらいました。9期は帰国中一度だけ、佐賀で行った講演会の脇でこれらのクラフトを販売させていただきました。    

○8期活動便りー2014年1月発行

2014年、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 日本で両親を見送った身としましては、本来なら、ルンブール谷の自然と人の良い人々(悪い輩もいますが)に囲まれて、キラン図書室に集まる子供たちの成長を見ながら、ハンディクラフトや手漉きの紙を作り、撮った写真の整理をしながら半隠居生活を送るつもりだったのですが、20年前には当たり前に四季を通じて暮すことができたのに、政治的な環境からアフガニスタン国境に近い非ムスリムの少数民族の谷では夏場に住むのは難しくなり、昨年は4月に谷を去って、11月にこちらに帰ってきました。7ヶ月間の留守をしたことになります。

 その間、夏には一瞬の集中豪雨で鉄砲水と同時に、ルンブール谷を囲む山々の尾根からいっせいに土石流が流れ出すという災害が起こりました。15年前に建てられたカラーシャ小学校は跡形もなく壊され、神殿は多量の土砂で埋まりました。「AKIKOの家」にも泥水が流れ込み、建物の裏手は今も泥土の山です。

 つい3年前には前代未聞という鉄砲水が起こりました。このような鉄砲水から村や発電所を守るために、皆様の義援金で2010年から2011年にかけて造った5基の堤防のうち3基が、今回の鉄砲水で壊されましたが、これらの堤防がなかったら、さらなる被害を被っていただろうと感謝されました。

 しかし、高い所から襲ってきた土石流については為す術もなく、収穫を前にした多くの畑が土砂を被りました。現金収入の少ない家は主食の糧がなくなってどうやって暮していくのか心配ですが、ここ数年、若者たちの、警官、国境警備隊、教員その他、政府の雇用が増えたので、困った、困ったと言いながらも、村人たちは昔ほどには難儀していないように見えます。

 2014年はお隣りアフガニスタンから米国軍が撤退するということです。しばらくは混乱が起こるとは思いますが、大国が資金を出したり、武器を売ったりしてよけいなおせっかいをせずに、国内だけで早いうちに治まることを願います。アフガニスタンが平和になればパキスタンのテロも減ることでしょう(カシミール問題が再浮上してくるでしょうが)。

 新しい年は世界の人々が平和の重みを深く直視し、実現に向けてスタートの年となるよう心から

 願います。

 

カラーシャ語の本作りの前準備

 

 地元のカラーシャが作った「カラーシャの歌」と「カラーシャの会話」の冊子本がキラン図書室でけっこうな人気で、それなら私たちも子供たちが読んで楽しむカラーシャ語の本を作ろうという話が持ち上がりました。題材は山ほどある。祭りの歌や年寄りの話を録音するためにICレコーダーも購入しています。しかし、今まで存在しなかったカラーシャ語を文字で書き表すことが難しいのです。

 キリスト教関係の団体の言語専門家が作ったカラーシャ語の辞書がありますが、どうも読みにくい。それよりも近年ボンボレット谷のギリシャ人支援団体の小学校ではカラーシャ語も教えているというので、その教科書1号〜18号を部分的に5部コピーして、興味を持つ村の若者たちと表記法を研究しようと思っています。道は遠いですが、必ず良い本を作りたいと思います。

 

キラン図書室

 当初は冬休みだけでなく学校の授業の後にも図書室を開いていましたが、今や谷でも携帯、ビデオの時代。多くの若者が携帯を持ち、電話のためではなく、写真や動画を撮ったり、ダウンロードしています。子供たちも兄さんたちの携帯を覗き込んで楽しんでいます。以前のように情報が閉ざされた環境ではなくなりました。

 

日本での活動

 

NHKでドキュメンタリー番組放映

2年間にわたり、村の様子や私の生活を私自身がビデオ撮影したものが(一部ヤシール撮影)編集されて、「駆け落ち婚の谷」というタイトルで、3月上旬にNHKBSハイビジョンで放映されました。私の語り口には室井滋さんが、コメンテーターには小島慶子さんとイスラマバード滞在の経験がおありになる長崎大学の松山章子教授が迎えられ、なかなか丁寧に作られた番組で好評でした。

 

 

写真展

 5月末には、故郷の佐賀市で写真展「カラーシャ族との25年」を開催しました。会場の「ギャラリー・シルクロ」では2回にわたり映像上映&トークの会を開き、ハンディクラフトも展示販売しました。地元の佐賀新聞には写真入りで掲載され、テレビNHK佐賀の「この人に会いたい」にも出演、えびすFM「ウーマン・スタイル」では生放送で50分話をし、NBC佐賀ラジオでも取材を受けました。また8月には「ひなた村自然塾」で幼児と小学生にカラーシャのDVD上映会も行いましたので、8期は佐賀でのカラーシャの紹介がわりあいできたと思います。    

 

 

クラフト活動

前から危惧していた問題は働き手の確保でしたが、それがついに破綻状態となりました。現地責任者のグリスタンは臨時でアユーンの家族計画事務所に採用されて週に4日通勤するようになったし、手が器用だった娘は結婚出産して乳飲み子を抱えている。初期の研修隊だった女性は子供が少し大きくなり一時復帰したけど、再び出産。新しく若い娘を雇おうにも、今の時代、気が利いた娘は隣の谷の高校に行っていて見つかりません。

 苦渋の決断で、しばらくは出産しなさそうで、以前にもビーズ作業などに来てもらっていた近所の女性に声をかけて、春まで図書室のストーブのそばで細々ながらコースター縫いなどやっていました。グリスタンも仕事が休みの時は来ていました。しかし、せっかく新しい製品の縫いも少し覚えたその女性は年末に6年ぶりに出産し、現時点で縫い作業の女性はいなくなってしまいました。そういうことで、クラフト作業に一番精を出しているのは、私自身ではないでしょうか。まあ、今は観光客が来る状況ではないので、しばらくは織り仕事を外注に出すようにします。

 なお日本では上記のとおり、写真展でクラフトを展示販売しましたし、宮城県角田市の秋の農業祭のアジアンコーナーにも、カラーシャ創作クラフトを置いてもらいました。

 

土石流の後始末    

カラーシャ小学校の建物が土石流で流されたので、小学生たちは元教室があった瓦礫の上に張った救援物資のテントの中、土砂が取り除かれた後の神殿の中、高学年はムスリム小学校の教室に同居と、三手に分かれて勉強していました。私たちの図書室を教室として提供しようかと申し出ましたが、全生徒が入るわけでなし、クラスが離れると授業がやりにくい、秋の学期が終わるところだし、学校の建物は州政府の責任を持って再建されるだろうからということで、しばらく様子を見ることにしました。

 

畑が土砂を被り、収穫前だった作物を失い、政府からの援助金を受けていない家庭15軒に、小麦1俵分5000ルピーを援助しました。(うち5軒はヤシールの知合いの外国人の寄付による。)

 

医療費援助

 

   

 大学の通信教育を受けている3名に各5000ルピー、高校で学ぶ成績優秀な高校生1名に3000ルピーを支援しました。なおこの通信教育学生で、「駆け落ち婚の谷」にも登場したエリカは、この冬州の女性警官に採用されました。

 

○7期活動便りー2012年12月末発行

 7期の私自身の「AKIKOの家」の活動は、昨年(2011年)秋から一年間、母の介護と見送りなどで日本に滞在していましたし、9月半ばから1ヶ月半、撮影の仕事でルンブール谷に戻ったときは、まじめに任務をこなしておりましたので、実際に村での生活を始めたのは、再び谷に舞い戻った128日からでした。でも冬の大祭チョウモスが始まっていたので、日常生活の中での活動は祭りが終わるまでお預けの状態でした。

 考えてみれば、人工股関節の手術や諸々の事情で、チョウモスには2006年以来参加していなかったわけで、今年は大いに期待して望んだのですが、着いたその日、女性たちの歌の輪に入って一緒に手拍子をとっていたら、土埃と焚火の煙の中、とたんに喉をやられて、そのまま数日間寝込むはめになり、体調が完全に回復したのは祭りが終わる頃という有様でした。

 ということで、チョウモスは私の中では今ひとつ盛り上がりに欠けましたが、その後は元気に「AKIKOの家」の活動を再スタートさせ、チョウモス後に行われる様々な行事にも積極的に参加しています。 


●教育援助

・前期(2011年)から教育支援の大方は、カラーシャ小学校の教員ヤシールの雇用に当てられています。彼は他の2名の正規の教員以上のまじめさで小学校の授業をし、冬休みの図書室では、字の読み方だけではなく、自ら掃除をし(雑ですけど)、子供たちへ靴の脱ぎ方まで指導をしています。

 パキスタンの物価が急上昇の中、安い月給で一生懸命に働いてもらって、大変に感謝しています。

 高等教育は必要だと思うカラーシャも増えてきましたが、現金収入があまり期待できない家庭は子供を外に出して教育を受けさせる余裕はありません。今期は、家で勉強して試験に通れば学歴証明書をもらえるオープン・ユニバーシティ制度を利用する学生が村で3人いました。必要経費の1割程度ですが、各2千ルピー(1700円)を支援しました。

 さらにルンブール谷のカラーシャグロム村の学生、フェロース・シャーが、高校卒業試験においてチトラール地方全域でトップという快挙をなし、彼もオープン・ユニバーシティで勉強中なので、彼の将来に希望を託しつつ、5千ルピー(4300円)を支援しました。


●キラン図書室

1225日から2月いっぱいまで2ヶ月以上の学校の冬休みには、図書室が賑やかになります。留守中にもヤシールが中学生や高校生に手伝ってもらいながら続けていました。多いときは60人近くの生徒や、本を読みたい若者たちがやってきます。「浦島太郎」などの紙芝居もいまだに子供たちに人気があり、冬の間は毎日紙芝居や読み聞かせを行っています。


●クラフト活動

  ・今期もアフガニスタンとの国境の治安の問題上、谷を訪れる外国人旅行者はめったにいなかったのですが、クラフト活動の責任者であるグリスタンが、春祭りと夏祭りを見学に来たツアー客に、在庫のクラフトをほとんど売ってくれていました。販売品の付け忘れや、紛失、帳簿の付け方など、課題はありますが、少しずつやり方を改善しながら、彼女たちに運営を委ねていくようしたいと思っています。


AKIKOの家」のメンテナンス

3月の「AKIKOの家」のキラン図書室の屋根からの雪解け水の漏りは昨年以上にひどくて、本や資料などを濡らさないように、あちこちに移動させなければならず大変だったそうです。(それ故、整理していたあらゆる物が混ざってしまって、それらを所定の位置に戻すのがもっと大変ですが、)今期も冬が来る前に、雪解け水漏れ対策として、ふるいにかけた土の間に新しいビニールを敷いてさらに土を被せる作業を行いました。土こぼれを防ぐために、新しく端に木材も置きました。

 「AKIKOの家」の裏側を通る水路の石壁の修理工事は、指示した場所ではなかったので、春になったら、的確な場所に造るように言いわたしています。


その他

冬になると、ゴホンゴホン咳をし、風邪を引く老若男女が圧倒的に多い。風邪の症状が出ても、養生しないので、しまいに熱が出て、チトラールの病院に行くはめになる。そこで今期冬に、喉に良いペシャワール平野の良質な黒砂糖を、風邪の予防対策の口述の能書きと共に、バラングル村の各家庭55世帯に1キロずつ配りました。


 7期の私自身の「AKIKOの家」の活動は、昨年(2011年)秋から一年間、母の介護と見送りなどで日本に滞在していましたし、9月半ばから1ヶ月半、撮影の仕事でルンブール谷に戻ったときは、まじめに任務をこなしておりましたので、実際に村での生活を始めたのは、再び谷に舞い戻った128日からでした。でも冬の大祭チョウモスが始まっていたので、日常生活の中での活動は祭りが終わるまでお預けの状態でした。

 考えてみれば、人工股関節の手術や諸々の事情で、チョウモスには2006年以来参加していなかったわけで、今年は大いに期待して望んだのですが、着いたその日、女性たちの歌の輪に入って一緒に手拍子をとっていたら、土埃と焚火の煙の中、とたんに喉をやられて、そのまま数日間寝込むはめになり、体調が完全に回復したのは祭りが終わる頃という有様でした。

 ということで、チョウモスは私の中では今ひとつ盛り上がりに欠けましたが、その後は元気に「AKIKOの家」の活動を再スタートさせ、チョウモス後に行われる様々な行事にも積極的に参加しています。 


●教育援助

・前期(2011年)から教育支援の大方は、カラーシャ小学校の教員ヤシールの雇用に当てられています。彼は他の2名の正規の教員以上のまじめさで小学校の授業をし、冬休みの図書室では、字の読み方だけではなく、自ら掃除をし(雑ですけど)、子供たちへ靴の脱ぎ方まで指導をしています。

 パキスタンの物価が急上昇の中、安い月給で一生懸命に働いてもらって、大変に感謝しています。

 高等教育は必要だと思うカラーシャも増えてきましたが、現金収入があまり期待できない家庭は子供を外に出して教育を受けさせる余裕はありません。今期は、家で勉強して試験に通れば学歴証明書をもらえるオープン・ユニバーシティ制度を利用する学生が村で3人いました。必要経費の1割程度ですが、各2千ルピー(1700円)を支援しました。

 さらにルンブール谷のカラーシャグロム村の学生、フェロース・シャーが、高校卒業試験においてチトラール地方全域でトップという快挙をなし、彼もオープン・ユニバーシティで勉強中なので、彼の将来に希望を託しつつ、5千ルピー(4300円)を支援しました。


●キラン図書室

1225日から2月いっぱいまで2ヶ月以上の学校の冬休みには、図書室が賑やかになります。留守中にもヤシールが中学生や高校生に手伝ってもらいながら続けていました。多いときは60人近くの生徒や、本を読みたい若者たちがやってきます。「浦島太郎」などの紙芝居もいまだに子供たちに人気があり、冬の間は毎日紙芝居や読み聞かせを行っています。


●クラフト活動

  ・今期もアフガニスタンとの国境の治安の問題上、谷を訪れる外国人旅行者はめったにいなかったのですが、クラフト活動の責任者であるグリスタンが、春祭りと夏祭りを見学に来たツアー客に、在庫のクラフトをほとんど売ってくれていました。販売品の付け忘れや、紛失、帳簿の付け方など、課題はありますが、少しずつやり方を改善しながら、彼女たちに運営を委ねていくようしたいと思っています。


AKIKOの家」のメンテナンス

3月の「AKIKOの家」のキラン図書室の屋根からの雪解け水の漏りは昨年以上にひどくて、本や資料などを濡らさないように、あちこちに移動させなければならず大変だったそうです。(それ故、整理していたあらゆる物が混ざってしまって、それらを所定の位置に戻すのがもっと大変ですが、)今期も冬が来る前に、雪解け水漏れ対策として、ふるいにかけた土の間に新しいビニールを敷いてさらに土を被せる作業を行いました。土こぼれを防ぐために、新しく端に木材も置きました。

 「AKIKOの家」の裏側を通る水路の石壁の修理工事は、指示した場所ではなかったので、春になったら、的確な場所に造るように言いわたしています。


その他

冬になると、ゴホンゴホン咳をし、風邪を引く老若男女が圧倒的に多い。風邪の症状が出ても、養生しないので、しまいに熱が出て、チトラールの病院に行くはめになる。そこで今期冬に、喉に良いペシャワール平野の良質な黒砂糖を、風邪の予防対策の口述の能書きと共に、バラングル村の各家庭55世帯に1キロずつ配りました。


○6期活動便りー2011年12月末発行

 昨年はパキスタン全土におよぶ大洪水、鉄砲水の災害に見舞われ、今年は日本・東北での大震災そして福島原発の事故が起こりました。まるで、地球のすべてを操ることができると勘違いして奢り昂った人間たちに、自然、あるいは神が警告を発しているかのように感じられるのは私だけでしょうか。科学が進み、エネルギーを使い放題の生活の中で、「ちょっと立ち止まって考えなさい。お前たち、少し行き過ぎたのではないか?欲張り過ぎているのではないか?」と言われているように思ってしまうのは、私一人でしょうか。

 カラーシャたちが住む村々にも、20数年前に私が初めて訪れた頃に比べると変化は起こっています。囲炉裏が真ん中にあるだけで、窓もなく煙だらけで真っ暗だった母屋のほとんどは、窓付きに建て替えられてストーブが置かれ、電気も付くようになりました。学校に行く子供は村で数えるほどしかいなかったのに、今では多くの子供たちが小学校に通うようになり、町のカレッジに進学する若者も増えてきています。そういう若者たちはパソコンを楽に使っています。共同作業や助け合いで行っていた家造りや建築工事は、今や男たちは「一日いくら」の賃金で働くようになりました。

 しかしながら、山羊を中心とした牧畜の仕事を男たちが、畑仕事を女たちがつかさどるという根本的なカラーシャの生活はさほど変わっていません。四季折々に繰り広げられる祭りや祝い事も、少し騒々しくなり、お年寄りの参加が減ってはきていますが、まだ受け継がれています。

 彼らの生活の軸は自然の流れに合わせたもので、自然が優先で、人はそれに追従するという謙虚な心を受け継いでいます。彼らが個人で持つ所有物はごく少なく、それは背負い籠に納まる程度なのです。今ここに来て、こういったカラーシャの長所を見直し、カラーシャはこのままカラーシャでいてほしいとあらためて思っています。

 

この年

平和だったチトラール地方の情勢は不安定になり、

タリバンがアフガニスタン国境を越えてくる可能性があるカラーシャの谷での、

外国人に対するセキュリティは今年になってさらに厳しくなりました。

そのため「AKIKOの家」での活動は最小限に、

なるべく目立たないようにするしかありませんでした。

 

 

授業をするヤシール
授業をするヤシール

カラーシャ小学校の教員への給料を援助

 バラングル村の端に建つルンブール谷の小学校は、生徒数が150人に増えていますが、正規雇用の教員は3人です。しかも、そのうちの1人は任じられてから一度も出勤してない幽霊教員です。皮肉なことに、もう10年以上前からアシスタント教員として小学校で教えているヤシールは、彼を支援していたデンマークのNGOが解体したために給料が出なくなり、昨年からは無給で教え続けていました。

 アシスタントといっても、家が近いこともあって、ヤシールは朝一番に出勤して、正規の教員以上にまじめに教鞭を取っています。カラーシャ語で教えることができるので、ムスリムの教員より生徒たちが理解しやすいという長所もあります。

 経験を積んだヤシールに引き続き小学校で教えてもらうことが、将来を担う子供たちの教育には必要だと思い、日本にいる会計の静江さんと相談して、5月から、ヤシールの給料を「AKIKOの家」の活動費から捻出することにしました。

 こちらで払える額は、キラン図書室での仕事も含めて月給5000ルピーで、正規の教員の半分以下の額です。小学校が休みで、図書室だけを開く月の月給はその半額の2500ルピー。両方の仕事がない月は無給ということで、ヤシールに納得してもらいました。

 

2011年デビューのペンケース
2011年デビューのペンケース

クラフト活動

 今期は「AKIKOの家」のクラフト展示を見に来る外国人旅行者もめったになく、売上げは伸びませんでしたが、私の留守中にグリスタンの責任で訪れた旅行者に展示品を販売してもらいました。まだ課題はありますが、将来少しずつ彼女たちに運営を委ねられる可能性を感じました。

 新製品の開発として、カラーシャの伝統の織り紐を真ん中に縫い付け、両側に裏からミシンで模様を施していく特徴的なやり方で、「ファスナー付きペンケース」を作りました。クラフト隊が自分たちで作れるよう、簡単なデザインを心がけました。

 

 

医療費援助

 パキスタン全体的に物価の上昇が問題ですが、なかでも医療費の値上がりはすさまじいものがあります。保険制度など全くないところですので、病人をチトラールの病院に連れて行くだけでも、薬代、複数の付添人たちの交通費、食費、宿代などで、数千ルピーは吹き飛んでしまいます。今期も、家族に給料取りがおらず、現金収入がほとんどない家庭の病人たちに、費用の足しになる程度ですが援助しました。

 

 

正面斜めから見た「AKIKOの家」
正面斜めから見た「AKIKOの家」

AKIKOの家」のメンテナンス

AKIKOの家」は荒れ地の斜面を整地して建てられていて、建物の裏側は村を横断する小さな灌漑水路に接しています。その水路の石壁が崩壊寸前になっていて、その水路が決壊すれば、キラン図書室と創作クラフト室に被害がおよびます。そこで、水路の水を止める冬の間に、石壁の修理工事を行うよう依頼しました。

 雪を被る屋根の方も、雪おろしだけでなく、雪どけ水が天井を通って漏らないように、土やビニールを被せるなどの対処をするよう頼んでいます。

(この屋根の作業は毎冬の作業ですが)

 

連絡通信の手段

 Eメールの送受信をする際は、チトラールの町に出て、1泊する宿のオフィスに陣取り、電話線を借りて、私のパソコンに接続しています。接続状態はきわめて悪く、1クリックで次の画面が出るまでに5分ぐらいかかることもあります。時間がかかってもつながればよいけれど、何度やってもつながらない時もあります。それが、今年からインターネット接続用のワイヤレス器機が使えるようになったと知り、これを接続すれば、町のどこでも、宿の部屋でも、夜でも使えるので喜んで買いました。ところが、私のIDカード番号がパキスタン人のそれと違うからか、この登録が受諾されず、買った店と掛け合ううちに時間が経過し、使わないまま帰国してきました。結局チトラールを出る寸前に、名義をルンブールの人に変えたら登録されたので、次回パキスタンに戻ったときに使えるかと期待しています。

 

 

○5期活動便りー2011年2月発行

  5期には、まず数年前からを暖めていた計画で、私たちの活動の参考にするためにフンザ・ギルギット地方の、アンズ油製造、ドライフルーツ製造、ハンディクラフト制作、クラフトショップ運営、地元の人々の暮らしなどを調査する旅行を、チトラール地方とギルギット地方間の陸路が安定している夏の7月に、ようやく実行できたことです。クラフト活動の現地責任者のグリスタンにも、カラーシャ谷に環境が似ているけれど、より地域活動がうまく行われている実態をぜひ見聞してほしいと思い、同行してもらいました。

 しかしこの旅行は、パキスタン未曾有の大洪水の発生で、ギルギットからチトラールの帰路が破壊されて、予定にはなかったイスラマバードに、軍のレスキュー機で運ばれるというおまけ付きになりました。しかも1週間遅れてやっと我がルンブール谷に帰り着くかという時に、谷の入口で荒れ狂い暴走する鉄砲水に出くわし、これが普段の「AKIKOの家の活動」とは別に、バラングル村と水力発電所を守る堤防工事建設のための、「緊急支援プロジェクト」を立ち上げるにいたることになったのです。

 

ジープのパンクは当り前。1日目のマストゥージの手前で
ジープのパンクは当り前。1日目のマストゥージの手前で

フンザ・ギルギット調査旅行

 往路のギルギットの手前ですでに何カ所もの土砂崩れに遭い、雨の中、土砂がせり出した道をどろんこになりながら歩くなどの困難もありましたが、これが国全土にわたる大々的な洪水被害の前兆とは思いもしませんでした。美しい山々に囲まれ、多くの旅行者が訪れると聞いていた長寿の村フンザは、前の冬にフンザ地方上流で山崩れが起こり、川が塞き止められて長さ20キロにもおよぶ巨大な湖になり、それがいつ決壊するかもしれぬという警戒情報があったためと、パキスタンの治安低下のイメージで、夏のシーズンだったのにもかかわらず、旅行者は少なく、今一つ活気がありませんでした。

 

破壊したバラングル村入口の橋。
破壊したバラングル村入口の橋。

 

鉄砲水の被害と後遺症

 地元のお年寄りも前代未聞というこの鉄砲水は、ルンブール谷の川沿いの道路、橋、水力発電所、水路、粉ひき小屋、家屋、畑が流されるか、土砂を被るか、壊されるかの大被害をもたらしました。人災がなかったのは不幸中の幸いでしたが、この鉄砲水が運んできた大量の土砂で、川底が上がり流れも変わったために、次回に鉄砲水が来ると、バラングル村や発電所が直撃される危険性が高い状態になりました。これらを守るには堤防を建設するしかありません。すぐに日本政府の草の根援助に問い合わせましたが、認定するまでに時間がかかり過ぎて間に合わず、申請を断念しました。

 

 

緊急支援金で堤防を


第1回目緊急支援

 藁をもすがる気持ちで、日本や海外の皆さまに緊急支援を呼びかけたところ、9月初めまでに、891,000円と1,800ドルの支援金が集まりました。(両替して、940,428ルピー)この第1回目の緊急支援金で、早急に工事が必要とされるバラングル村の上流部(1)と下流部(2)、水力発電所の水路取水口付近(3)の3カ所を保護する堤防を造ることにしました。

 

第2回目緊急支援

 バラングル村の中間部の堤防は、ノルウェー政府が後押しするNGOの援助で造ることになったので、残るは水力発電所を守る堤防(4)と、その対岸(5)の2つが必要です。その2カ所の見積り額は80万〜百万ルピー。第1回目支援金の後にも日本で424,250429,187Rs)の支援金が集まり、フランスの知り合いのNGOも支援金2,000ユーロを集めてくれましたが、少し足りません。そこで、会計の静江さんと相談して、「AKIKOの家」の活動資金の中から20万ルピーを支出し、合計額を85万ルピーにして、これを第2回緊急支援金としました。このお金は、11月末に現地に向かった新潟支部の笹川さん(注1)と、1月初めに向かった静江さんに託しました。

 (注1)笹川さんは今回の緊急支援のために、急きょ「ルンブール福祉文化開発組合・新潟支局」を立ち上げ、新潟日報で義援金を呼び掛けました。

 

 

 第1回目緊急支援の3カ所の堤防工事について、昨年秋の11月までにすべて完成したという電話報告が、ルンブール福祉文化開発組合の副代表のサイフラーさんからありました。以下は今年1月に現地を訪問して、完成した堤防を点検し、図書室活動やクラフト活動を見てきた静江さんの報告です。


バラングル村上流部の堤防。長さ33m、高さ4m半(地下2m)
バラングル村上流部の堤防。長さ33m、高さ4m半(地下2m)

堤防建設、および冬期活動の報告

 

完成した3カ所の堤防

 村に到着した翌日、建設責任者のサイフラーさんの案内で、第1回目緊急支援の3カ所の堤防を確認しました。素人目ですが、ていねいな仕事ぶりの頑丈な堤防のように感じました。カラーシャの村での建設工事がいかに大変か、「AKIKOの家」の建設や整備工事に関わる中で経験しています。店に発注すれば材料が揃う日本と違い、材料の調達や作業人の手配など一つ一つに手間と時間がかかる。その上、約束したこともあてにならないことが多いのです。そんな状況の所で、予定通り11月後半に完成させたことにも感服しました。人望厚く経験豊富なサイフラーさんが責任者であったことはもちろんですが、村人自身も村を守る堤防工事なので、きちんと働いたのではないでしょうか。

 

○4期活動便りー2010年1月1日発行


新年明けましておめでとうございます。

2010年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 09年4月はじめにドバイ、ペシャワール経由でイスラマバードに到着。成田からの直行便でパキスタン入りした静江さんとイスラマバードで落ち合いましたが、翌朝のフライトでは私の席がなかったため、しずえさんの席を譲ってもらってチトラールに飛び、ルンブール谷に戻りました。彼女はこのため6泊もイスラマバードに足止めされてしまいましたが、そのおかげで、私はカラーシャ家族の伯父さんの死に際に間に合い、葬式に参加し、その映像も撮影することができ、運が良かったと思っています

 

2009年の活動


ヤシールの読みきかせに耳を傾ける子供たち
ヤシールの読みきかせに耳を傾ける子供たち

キラン・ライブラリー

 春に、「ライブラリーには来るが、理解して本を読んでいない」どころか、「読んでいるふりをしていて、ほとんど字が読めていない」子供たちのために、静江さんはヤシールに手伝ってもらって、ウルドゥー語のアルファベットのカードを作りました。遊びながら字を覚える「カルタ取り」は、低学年の子供たちに大人気でした。残念ながら、5月半ばの春祭りが終わったら、多くの家族が村を出て夏の畑地に移住したので、アルファベットの半分もいかないまま終わってしまったのですが、冬期のライブラリーで、ヤシールとジャムシェールがうまく使ってくれることを期待します。

 また、カラーシャ人が作った「カラーシャ語のおさらい本」を寄贈してもらい、高学年の子供たちに人気が集まっていました。近い将来、私たちも子供たちとカラーシャ語の絵本を作りたいと思っています。

 

大人の学習会

 村人たちのミーティング(IDカード取得の必要性、衛生の話など)の後に、06年にルンブールの谷奥の「妖精の湖」をトレッキングされた増田夫妻の映像や、ここ数年来、村訪問の常連であるS君の地元の祭りの映像も、たいそう喜んでもらえました。

 

 

創作クラフト活動

 4月から5月は注文のクラフト(しずえさんの)を仕上げるのに忙しく、その後は、クラフト員を増やして、私たちのメイン商品である「山羊のコースター」以外にも、新しい小物作りに力を入れていきました。しかしながら、(チトラール地方はタリバンもおらず、相変わらずのんびりムードとはいえ)、パキスタンの全般的な治安が悪くなっていき、アメリカに後押しされたパキスタン軍のタリバン掃討作戦のために、ペシャワールから通じる陸路も閉ざされていて、カラーシャ谷を訪れる旅行者が激しく減ってしまったために、多目的ホールに展示したクラフト類の販売も頭打ちの状態でした。

 ただ、旅行者が来ないことも問題ですが、それ以前に、「非常に限られた材料で、限られた道具を使って、カラーシャの特色を出しながら、質の良いものを作り、リーズナブルな価格で売らねばならない」という課題を克服することです。しかも、村人たちの生活習慣を変えない範囲の、空いた時間に制作活動に参加してもらいたいので、仕事の時間が少ない条件で、彼女たちの技術を向上させるのも簡単ではありません。

 バラングル村の総人口380人。乳児からお婆ちゃんまで合わせた女性が178人、夏場だとその半分以下になる。その中で、さらに、乳児を抱えてなく、喪に服してなく(喪中だと色のついた糸などに触れない)、手が器用な女性はそう何人もいないという現実もあります。こういった様々な問題を解決しながら、どう活動していくかが、これからの課題です。

 

 

教育支援と医療支援

 今期より、高校生への教育支援と、重病人の医療支援を始めました。

 

●ルンブール谷には小・中学校はありますが、高校に進学するとなると、隣のブンブレット谷の高校に、親戚の家に寄宿しながら通い、月に2、3回、週末に実家に戻る生活をすることになります。高校生になると、教科書やノート代が高くなる上に、ブンブレット谷に行き来するジープ代などもかかり、親の支出がぐっと増えるので、現金収入があまりない親たちはどうやりくりするのだろうと、前々から心配していました。政府や外国のNGOから援助金が支給されることもありますが、昨年は、特定の窓口を持っている家族以外、援助金は出ませんでした。

 こういう背景の中で、家族に定収入がなく(家族に月給取りがいる場合は対象外に)、成績の良い高校生の各学年男女1名ずつ、計4名に、高校に通うための必要経費の一部を援助しました。学年トップの生徒に、ジープ代が払えて、筆記用具が買えるほどの金額(300Rs)を、次席の生徒たちにはその半額(150Rs)を、毎月8ヶ月間(開校時のみ)支給しました。高校に進学する生徒が増えているので、今年は支給する生徒の数を少し増やしてもいいかと思っています。

 

 ●医療支援は、これまでにも、村の人たちに怪我の治療をしたり、歯痛や頭痛などのちょっとした病気の薬をあげたりしてきましたが、昨年からはできる範囲で、小規模な金銭的医療支援も始めることにしました。昨年は1件、現金収入のない家の乳児が病気して、チトラールの病院に連れていって入院した際、治療と薬代、ジープ代にかかった費用のおよそ半分を援助しました。  

 

 

2階増築が終了

 私自身は、08年からの2階の増築作業が続いていて、大工さんに出す食事、おやつ、お茶作りをしながら、クラフト隊の女性たちと共にクラフト制作、なおかつ新商品開発に打ち込んでいたので、外に出る暇もないくらい忙しい毎日でした。秋に、その、3年がかりの増築作業がほぼ終わったので、大きな肩の荷が降りました。2部屋のうちの1つは、紙すき作業場として竃と流しを設置しました。私も、これまで寝泊まりしていた1階のクラフトルーム(作業室)からようやく2階の部屋に引っ越しできます。屋根に面して広いベランダも作りましたので、天気が良い日はベランダでクラフト作業や紙すき作業をすることが可能です。また1階ライブラリーの雨漏り防止のために、2階の西側石塀に屋根も作りました。

 

○3期活動便りー2008年12月20日発行


 私たちの「多目的ホール&作業室」での活動は2006年の夏から始まり、今年で3年目に入りました。1年目(注1)はキラン・ライブラリーをスタートさせ、2年目は村の大人たちのための学習会も並行して行うようになり、3年目の今年はハンディクラフト開発の年だったかと思います。

 ハンディクラフト活動はこれまでも細々と続けていましたが、簡単な作業をアトランダムに村の女性に頼むぐらいで、女性たちにしっかり教えて作ってもらう段階ではなく、ほとんど私1人で作っていたようなものでした。今年の春、手が器用な女性ややる気がありそうな女性を集めて「ハンディクラフト研修隊」を結成しました。春に7人だったのが、秋には5人に減ってしまいましたが、残った女性たちは今やこれからの活動の中心的な役割を果たしてくれそうな存在になっています。彼女たちの仕事の質が上がったことにより賃金も増え、他の村の女性たちも「来年はぜひ自分も雇って」と言ってきていますので、働く女性の人数も徐々に増やしていけたらと思います。また、今年スタッフのジャムシェールが大工さんの手伝いにかかっていてできなかった手漉きの紙作りにも、新たに力を入れていきたいと思っています。

 発展途上国のパキスタンはもともと不況で就労率も低いのですが、このところの目が飛び出るほどの急激な物価高で、人々の生活は非常に困難なものとなっています。カラーシャ族が住むアフガニスタンに近い北西辺境州のまた僻地では、従来の価格にさらに運賃が加算されますので(ガソリンの高騰で運賃の上昇もすごい)、例えば主食の一つの小麦を買うにしても、都市部の3倍の高値となってしまいます。そういった現状の中で、現金収入源の活動は小規模ではありますが、意義のあるものと思っています。

 多目的ホールで開いている子供たちのライブラリーも、静江さんがやってきた秋から再び盛り上がっています。各自で本を読むだけでなく、年上の子供や高校生やカレッジのお兄ちゃんたちが、小さい子供たちに読みきかせをしたり、また、村のゲストハウスに泊まっているバックパッカーの旅行者たちとの交流の場を作ったり、DVDプレーヤーで動物の番組を見せたりと、内容も濃くなってきています。私たちが留守の間もスタッフとボランティアだけで運営していければしめたものだと思っています。

 パキスタンの情勢は穏やかではないのですが、カラーシャの谷が存在するチトラール地方はきわめて平和です。私たちの活動は始まったばかりです。ハンディクラフトも手漉きの紙も作るばかりでなく、買ってもらわないとまわっていきません。今後とも、皆様のさらなるご支援とご協力をお願いできれば幸いです。

(注1)会計の第1期は、6年の4月に始まり‘0611月までの半年間となっています。

                  (ルンブール福祉開発組合代表・わだ晶子)


コースターを縫う研修隊
コースターを縫う研修隊

●第3期会計報告

 活動報告の季節、秋に今年も村を訪れ、晶子さんと会計のまとめをしてきました。(会計の原簿はRsです)

おかげさまで、この春に結成したハンディクラフト隊の製品作りが、小規模ながら順調に続いていました。売上げも昨年に比べるとだいぶ増え、したがって、運営費への収入(売り上げの約20%にあたる額を、運営費へ入れる)も増えました。私たちの最終目標「村人たち自身で、活動と運営を動かして行くこと」への小さな一歩を踏み出したことを、うれしく感じています。

今期は、ミシンを4台購入。働いた時間数に応じ、研修隊の女性に奨励金も支給しました。(しずえ)

スタッフ紹介

 ジャムシェールは、「多目的ホール&作業室」で、ただ一人の月給をもらっているスタッフです。ライブラリーには、子供好きでウルドゥー語の読み書きが出来る彼のような人が必要です。また、建物の保守・管理をするのにも、家がすぐ近くでとても都合がいいのです。 

 ヤシールは、ボランティアのスタッフです。村のカラーシャ小学校教員で、英語もできます。2007年春から、大人のための学習会の活動に積極的に関わってくれています。この冬休み(2009年1月と2月)は晶子さんも私も不在ですが、子供達のために、二人でライブラリーを開けてくれることになっています。(しずえ)

 *しずえさん撮影の画像は後ほどアプロードの予定です。

 

作業室東側斜面の整備補強開始08年11月

 以前から雨の後に水が流れ出てきたり、小さな土砂崩れがおきたりして危険だったので、

石積み職人を2人雇い、ジャムシェールも手伝って、1階の屋根までの高さの石壁を作り、斜面を補強しました。