「AKIKOの家」周辺の整地

2014年2月

ルンブール谷では1月も25日までずーと電気がなかった。

 その間、ボンボレット谷から用事でやってきた義兄弟のヌールシャイディンの、「バーバ(姉さん)、何でボンボレットに来ないんだ。あっちは始終電気があるよ。インターネットだってやれるのに」と言う言葉で、ボンボレット谷に行くことにした。パソコン作業とインターネット通信ができるだけでなく、義兄弟の家族や、以前住んでいたブルーン村のみんなに会うこともできるしね。

 

 ボンボレットは距離的には車で1時間ほどだから、チトラールよりもずっと近いけれど、直通のジープが通ってないので、中間にあるチェックポストで降りてボンボレット行きの車を待つのだが、たいがいの車はすでに人で満員、荷物が満載で、乗れないリスクがあるので、チャーターすることになる。しかし最近の物価高でチャーター代も2~3000ルピー取られるので、どうも躊躇してしまい、そうしょっちゅう行く気になれない。もちろん、あのルンブール側の、いつ転落事故が起きても不思議はないジープ道路(この3ヶ月で3件の転落事故があり、3人が亡くなっている)を通りたくない気持も強くて、なるべく村から外に出ないで冬ごもり状態でいたのだ。

 

 しかしそうばかりは言ってられない。1月には昨年度の「活動便り」と「会計報告」を支援者に出さなければならないのだ。それまでのところ雪も本格的には降っていなかったが、もし大雪が降れば道が閉ざされ、それこそボンボレットにさえ行けなくなる。行くなら今のうちだと決心して、湯たんぽ、洗顔用のアルミの器、着替え、みやげの菓子などを持って、1月6日に義兄弟たちの家に行った。

 

 「カラーシャ・ゲストハウス」をやっている2番目の弟ブトーのところに泊まったが、突然訪れたにもかかわらず、母屋は片づいていて、ゲストルームにはストーブもあり、居心地がよくて1週間も滞在してしまった。

 

 だけど、電気はあまり安定しておらず弱く、しかも午前9~10時から午後2時までは消えるので、あまりパソコン作業はできなかった。おまけにインターネットは電話線でつなぐシステムはもうできなくなっていたので、WiFiを使って「カラーシャ・タイムズ」を発信している隣り村のルスタム・シャー(ペンネームはルーク・ラクマット)の家まで行くことになった。

 

 彼のところのインターネットは通じていて、メールは送ることはできたが、サイズが重いファイルの添付にえらく時間がかかり、しまいにエラーになってしまって果たせなかった。ルスタム・シャーが「今日はインターネットがスローだけど、明日は良くなるかもしれない」と言うんで、翌日も彼の家に出向いたが、彼は膝が痛いという妹をチトラールの病院に連れて行って留守で結局できずじまいになった。

 

 私の義兄弟のうち長男と二男の主家にテレビと電話があり、4男の部屋にもテレビスクリーンとDVDプレーヤーがある。そういう意味ではボンボレットがルンブールよりは進んでいることは確かだが、私が必要とするインフラは得られず、一週間の滞在の後、ボンボレットからチトラールに出るはめになった。

 

 チトラールの町の大きなホテルのインターネットは以前に比べると速くなったが、いかんせん肝心の電気の供給が不安定で、その日は1時間おきに電気が来たり消えたりしていて、電気が消えたときに急いで買物を済ませ、また1時間パソコンに向かうという状況だった。

 

 それでもましな方で、1ケ月後の2月10日に、「活動便り」を支援者の方々に送信するために町に来たら、午前中に1~2時間電気があるかないかで、後はずーと昼も夜も停電が続いている状態だった。寒くて夜が長い冬の2月に、町で電気なしで暮らすのは相当につらいものがある。ほんとうは町で1泊する予定だったが、すぐにでもルンブールに戻りたい気持になった。ルンブールにはインターネットはなくても、ストーブに焚く薪があるし、水は今のところ家の水道から出ているし、図書室活動、クラフト作り、映像の編集などなど、やることはたくさんあるしで、やっぱり自分の住む家が一番じゃわい。

 

「AKIKOの家」周辺の整地

 昨年8月の土砂くずれで土砂を被った「AKIKOの家」の周辺の整地は、雪が積もる冬場はできないだろうと思っていたが、この冬は雪がなかなか降らない。そんなら雪が降る時までやれるだけやろうと1月後半から始めた。

 

 カラーシャにはめずらしく、クソがつくほど真面目なダジャリの手がちょうど空いていたので、主な土よけ作業は彼に頼む。彼は毎朝、階下の作業室に警備のために寝泊まりしている用務のザルマスとチトラール警察から送り込まれたメタル・バッチャー(近所の家の青年)がまだ床の中でうだうだしている時間、ぴったり8時20分に来て作業を始める。普通の作業員だったら、10時になったらチャイ(お茶)の時間で2~30分は休むが、ダジャリは全くチャイを飲まないので、休みなしで作業をする。お昼のランチブレイクも1時間とみなしていたが、彼は自分の家で食事して15分で戻ってくる。そして午後4~4時半まで頑張るのだ。普通、陽が短い冬場だと、作業開始が9時過ぎで、作業終りが3時、へたするとその前にもう帰っていることだってあるという中で、ダジャリの働きぶりは驚異的なのだ。

 

 みんなは「なんで、他にも作業員を雇わないのだ?」ときいてくるが、これまでの経験と観察により、2人だと多くの時間、必ず1人は何もしないで突っ立っていることがわかっている。例えば、2人だと、1人は鋤で土を掘り起こし、手押し車に土を載せる役を担い、もう1人は手押し車を押して、土を運ぶ役を担う。これにおしゃべりも加わる。これを全部ダジャリ1人でせっせと休みなしやるから無駄がない。

 

 現金収入のないダジャリは今、肺炎にかかっている母親と原因不明の腹痛を訴える坊やをかかえ、この2ヶ月で何度もチトラールの病院を往復している。現金を必要とする彼に、作業が終了したらボーナスを渡すことも考慮している。

 

 ということで、15日間で建物の裏と上流部の1.5メートルばかり積もった土砂はきれいに除けられた。後は村寄りの土砂を除ける作業が残っているが、さすがに2月になって雪が降ったので、作業は一時中断している。春になったら、裏に通る水路側の石壁も造らねばならない。