クルミの収穫

 9月から10月の初めまではクルミの収穫期だ。今ではカラーシャのほとんどの家がクルミの木を所有しているが、30年ほど前まではほとんどのクルミの木は麓の町アユーンの人たちが所有していた。それより前、貨幣経済がカラーシャ社会に入って来た頃、無知なカラーシャたちは1ルピーや帽子1個と若いクルミの木を交換したり、あるいは兄弟関係になった印としてクルミの木を贈ったりしていたらしい。

 そろそろ40歳になるヤシールの話では、彼が小学生ぐらいの頃、家はクルミの木は1本も持っていなかったという。収穫期になると、朝起きたらすぐにお母さんはヤシールや弟たちを、夜に風で落ちたクルミの実を集めに外に出していた。学校から帰ったら、上流の畑地にある大きく成長したクルミの木々の下を歩き回り、落ちたクルミの実を集めていたという。

 

 カラーシャは、叩き落とした実を拾い集める手伝いをしたら、必ず両手いっぱい以上のクルミをお礼に与えるのだが、ムスリムの所有者はそんなことはしない。それどころか、収穫をしに家族ぐるみで土産もなしにやって来て、数本の木を持つ所有者は2、3日カラーシャの家に泊まり、食事も出してもらって、土地を落としたクルミの葉や殻で散らかしたまま、平気な顔をして収穫したクルミと一緒に帰って行く。だからヤシールが子供の頃は、ムスリムが収穫した後、落としそこなった実を石を玉にしたパチンコで落としたり、強い風が吹くと残った実が落ちるのを期待して木の下に走ったものだという。

 

 1980年代、カラーシャ選出チトラール議会議員だったサイフラー・ジャン(ヤシールの父親)は、カラーシャのものだったクルミを取り戻そうと、当時の少数派代表国会議員の故M. P. バンダラー氏や大統領に訴えて(その模様はテレビでも放映されたそう)、木を買い戻す補助金が下りて、カラーシャに戻った木もあるが、まだまだムスリム所有の木も多い。

 

クルミの木を買い戻す

 そこで、「AKIKOの家」建設・設立で尽力してくれた静江さんを初めとして、日本の友人たちと相談して、ムスリムからクルミの木を買い戻す活動を数年前に始めた。毎年収穫した実を売ったお金は「AKIKOの家」の活動費にまわす。もしその木が畑に突き出して大きな影を作っていたり、朽ちて危ない枝は私たちの判断で切り落とすこともできる。(ムスリムだと喧嘩になってしまう)

 しかし私たちが木を買い取るとムスリム所有者に知れると、値をふっかけられる恐れがあるので、密かにヤシールを表に立てて交渉してもらっているが、クルミの実の値も上がり、いい収入になるので、なかなか売ってくれない。

「AKIKOの家」の前と、上流のサジゴールトンにあるクルミの木は静江さんのお友達が買い上げてくださり、家の前の木の方は紆余曲折して、土地所有者のジャマットの所有になった。家の前にもう一本ムスリム所有の木があり、ヤシールが交渉を初めて5、6年になるが、複数の所有なので話がなかなか進まないでいる。

 サジゴールトンのクルミは今年はあまり実らず、実を集める手伝いをしてくれた女性や子供に少々の実をお礼に渡すと、残りは20キロのビニール袋に1袋と3割ほどだった。木に登って実を叩き落とす人に千ルピー払い、いかほど活動費として残るだろうか?昨年は1万ルピーだったが、今年はその半分ぐらいだろうか。(10月4日)