もったない精神でリサイクル

ノーベル平和賞を受賞されたケニアの環境活動家のワンガリ・マータイ女史ではないけれど、私も「もったいない」精神で生活している。

今は谷にも店が増え、物も増えたが、以前は店にさえビニール袋もない状態で、私は町でもらったビニール袋を集めて谷の店屋さんにあげたりしていたくらいだ。段ボールなんかは滅多に手に入らないので、日本から届いた小包の段ボールは大事に取っておいて、収納箱にしたり、次回にこちらから小包を送る際に使ったりしたものだ。今は谷のどの店もちょっとした物を買っても新しいビニール袋に入れて渡す。マイバッグ持参の私はもちろん、「ビニール袋は要らない!プラスティック・ゴミは土地を汚す。せっかく神さまが与えて下さったこの美しい自然環境を壊してしまう」と言って拒否する。店屋はたまに「確かにそうだ」とうなずく店屋もいるが、たいていは「タダであげるのに」とキョトンとしている。空の段ボールなんかも河原に他のゴミと一緒にぐじゃぐじゃになって捨ててある。

 

近年、ポリス、病院の掃除夫、山林管理、など諸々の雇用で、給料取りが増えて、金回りがよくなり、同時に店屋も増え、その店屋もどこで製造されたかわからないスパイスや塩味の濃いスナック菓子、人工着色料いっぱいの飴玉、ファミリーサイズのソフトドリンク、いちいちアルミプラスティック包装された五ルピーのビスケットやケーキと、ろくなものを置いてない。子供に甘い大人は子供にせびられてすぐ小遣いを渡し、子供は朝であれ夕であれ店に直行してお菓子を買い食いする。碾きたてのトウモロコシ粉や小麦粉の家で焼いたパンはその分食べなくなる。子供の健康にも悪いし、虫歯にもなり、全くいいことない上、お菓子の袋のゴミがそこらじゅうに散らかり、掃いても掃いてもどんどん散らかる。掃いたゴミは近くの川辺に捨てる。川辺はゴミの山となっている。(たまに焼いたりしているが、きちんと強い火で焼かないので、古靴やプラスティックの生焼きの匂いが村まで漂ってくる。)

 

大体、ここルンブール谷だけでなく、チトラール地方全域がゴミ回収制度もなく、故にゴミ処理場もないもんだから、チトラールの町もどこも近年は人が住む場所の河べりや空き地はゴミ捨て場と化している。あれを見るとウンザリして、私は極力ゴミを捨てないようにしている。紙クズは薪と一緒に燃やせるし、ビニールも小さく割いて強い炎と燃やす(一応ダイオキシンが発生しないよう弱い火では燃やさないようにはしているが)。新しい布の切れ端は私のハンディ・クラフトに使い、古い布も雑巾にする前にいろいろリサイクル、リユースで工夫して使う。

 

例えば、8月末に土石流を被って大被害にあって修理中のサイフラー・ゲストハウスで出たおが屑だが、これをどうするのか聞いたら「捨てる」と言うのだ。

せめて火の焚き付けにすれば納得するのだが。そこで「こりゃ、もったいない」とおが屑をもらってきて、米や小麦粉の20キロ詰めのプラスティック袋や、古くなったカラーシャ服でクッションを作る。そのプラスティック袋が破れそうだったので、織りで使った毛糸の切れっぱしを編み込んで強度補強とした。今一満足しないが、しばらくは使えるだろう。4個作ったので、2個は親戚の家にあげる予定だ。

手漉きの紙でカードやしおりを作って、クルミの殻や桑の実、煤などでこしらえた天然顔料で、子供や若者たちに絵を描いてもらって文化促進・現金収入源の活動を行なっていた頃は、菓子、タバコなど諸々の箱の印刷してない裏側を水に浸けて剥がして細かくし、木や草の皮を灰汁で煮てついてパルプにしたものとミキサーで混ぜて、紙漉きの原料の一部にしていたものだ。紙漉き活動は続けていきたいと思っているが、何せ人手がない。若者たちはチトラールのカレッジや大学で勉学中、あるいはチトラールで仕事をしている。村に残っている者もポリスや山林管理などの職についていて、けっこうな月給をもらっている。雇用に外れた男性たちは山羊の群れの世話に関わる。また、新築ラッシュで土運びや雑用の日雇いで生活費を稼がなくてはならない。そういうことで、暇そうに見える村人たちも以前よりは拘束されてきているのだ。