第4回国際ヒンドゥークシュ文化会議の続き/ Rest of my report on 4th International Hindukush Cultural Conference

 ルンブール谷に戻って部屋でゆっくりブログの続きをやろうと思ってたのに、その前の週に2日間、夕方から朝にかけてついていた電気が、直した水路がまた決壊してつかず。

 

 9月は村のおっさん、兄さんたちが、トウモロコシ、クルミ、リンゴ、松の実、ブドウなどの収穫で大忙しの上に、フランス人グループが15日からバラングル村からチトラールまで5日間の山歩きトレッキングで地元のポーターを21人雇って連れって行ったので、発電所の水路の修理に手が回らないという実情なのだ。

 

 昨夜、サイフラー・ゲストハウスの発電機でパソコンとスマホの充電をさせてもらったので、今日とりあえず先日の会議の報告を簡単にさせてもらいます。

 

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 チトラール公共図書館の門を入って階段を上がると受付があった。事前に申し込みをしてなかったのでどうかなと思ったが、受付の2人はニコニコ顔で迎えてくれた。入場料を地元人価格で1500ルピー払うと、会議の要綱の冊子、会議の名前入りのノート、ウルドゥー語で書かれたチトラール関係の本(300Rs)、FLI(Forum for Language Intiatives)のパンフレット、会議の名入りのボールペン2本が入ったキャンバス地のマイバッグと、私の名前とNGOを書いた首からかける名札をもらった。

 

 開会式はすでに終わっていて、Dr. Elina Basirのスピーチが始まっていた。アメリカのシカゴから来られた言語学教授でウルドゥー語が堪能な女史は、1980年代からはチトラール地域のコー語やカラーシャ語の研究をされてきた。今回は過去3回にわたり出版した「A Digital Khowar-English Dictionarywith audio」について話されていたが、遅れて後ろに座った私の場所はスピーカーからの音声がよくなくて、内容がほとんど把握できなかった。

 

 この後ドイツから Emeritus Hermann Kreutzmannっ教授が、イタリアからAlberto Cacopardo教授がオンラインで話をされたが、音声が悪い上にスクリーンが暗くてこれまたよくわからず残念だった。

 

 そうこうするうちにティータイムとなり、入口広場で甘いチャイとビスケットが持てなされた。ここで知り合いのプレゼンテーターに挨拶したり、Voice of Germany のパキスタニ・エージェントからパキスタンの現状についてインタビューを受けたりした。

 この後は言語、文化、考古学、歴史の4部門に別れて4部屋でプレゼンが開かれた。

 セッション1の、考古学の部門ではよく知っているカラーシャ女性のSaeed Gulが司会をするというので部屋に行ってみたが、彼女は都合で来れず、代わりにオーストラリア・シドニー大学の言語学者Jakelin Troy教授がフリートークを始めた。  

 Jakelin教授は先住民アボリジニであるが、東京大学やケンブリッジでも学んだ秀才だ。

 フリートークなので私も何か5分ぐらい話すよう言われたが、文化部門で友人のスコットランドのデザイナー、Adil Iqbal氏が「Cross-cultiral narrative art through Hand Embroidery in Chitral」(チトラール刺繍を通じての文化技術交差)」の話をするはずなので、そちらに行かねばならず、お断りした。

 

 だがAdilもスコットランドから来ておらず、彼の友人Tom Crowely氏が代わりにプレゼンしたというが、それも終わっていた。

 ちなみにAdilはスコットランド産の伝統毛織にチトラールの女性たちに刺繍してもらった洒落たバッグなどを展示会やネットで販売していて、チトラールではMaraka Center を主宰し、私も委員会のメンバーでもある。

 

 すぐにランチブレイク。メニューはチキンとパラウ(味付けご飯)。

 

 午後一のセッション2は、私の家にも数度来たことのあるグジャラート大学 M.Kashif Ali教授が文化部門の部屋で司会をするというのでそちらに赴く。音響が悪いので、なるべく前の席に座るよう心がける。

 2日目はヤシールも参加。この日はカシフ教授、ケンブリッジから来たトム・クロウレイ氏、デンマークからのビルギッタなど友人たち、他にもチトラールの教授たちのカラーシャ関係のプレゼンがあった。

 

 カシフ教授は一通りの情報を無難につなげたスライドで説明(私の写真集からの写真と情報も取り入れられていた)、カラーシャの衣装についてのプレゼンだったトム氏は、女性の毛織の貫頭衣のカラーシャ語自体が間違っていたり、Rahmat Karim Baig教授のカラーシャの歴史は、カラーシャの宗教指導者たちから情報を得たものだということだが、同じ人物から私が得た話とまるっきり違っていた。(教授はアレキサンダーの将軍がカラーシャの先祖の王だというが、将軍はチトラール地方には来ていない)など、やはりカラーシャの歴史は謎のままということを確認した次第。

 

 ビルギッタは20年近く前に撮影してまとめたカラーシャの民間治療のビデオを上映。一部は、例えばカラーシャお灸(ケット)のシーンなどは彼女自身が患者になって私が撮影したものだ。動画撮影を止めてしまった私だが、映像を残しておくことは大事だと認識はする。

 

 このように、4部屋でそれぞれ30分ほどのプレゼンを繰り広げたわけだが、2日間を通しての私の感想は(3日目は参加しなかった);1)各プレゼンの時間が短い 2)音響が悪い 3)専門用語が混ざるのでわかりにくい 4)カラーシャに関しては新しい情報はなく、間違った話などもあった 5) プレゼンテーターも観客も女性が極端に少ない、というのが私の正直な感想。

 

 それでも、チトラールを研究されて来た学者の方々、特に海外からの方々と、久しぶりにお会いできたことは大変有意義であった。そして1日目の夜、チトラール城で、Mehtar Fatahul Mulk Nasir元首主催のレセプションで、2階のミュージアムを特別に開放していただき拝見できたことだ。

 

なお、この会議についての情報を知りたい方は下記までアクセスして下さい。

 

4th Int'l Hindukush Cultural Conference

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